「うっ……あっ……あ……」
泣いていた。ベットの横に全裸のまま倒れうずくまり、私は嗚咽を漏らして泣いていた。
行為の後に残されたものは、ただ絶望のみ。
男に戻る事だけではなく、全ての心理的な支えを失った私は、ただ泣く以外の事ができなかったのだ。
そしてその横には、ヴァルターが困った顔をして座っていた。
「あのよぉ……」
しばらくして、ヴァルターが言い辛そうに口を開く。
「そりゃあ、ちょっと悪ノリが過ぎたとは思ってる。ちょいと意地悪が過ぎたとも思っちゃいる」
彼の言葉に私は一切の反応もできない。声を出して泣く以外に何もできない。
手で顔を覆ってなんとか涙を止めようとしても、どうにもならない。
それどころか、かえって見た目の悲壮感が増しただけだった。
「けどな、俺は一応、自分の嫁を抱いただけのはずなんだがな…………」
「くうぅっ……あ、うあぁ……」
「その、なんというか……何故に俺は今、“出来心で知り合いのお姉さんを
思わずレイプするに及んでしまった善良な青年の心境”のような良心の呵責に苛まれなきゃならんのだ?
この状況は誰が見ても俺が悪いように見え…………聞いてるか?」
聞いてはいた。だが、今の私がそれに対してのリアクションを取るのは不可能だった。
そんな私にさすがの彼も痺れを切らしたのか、肩を掴まれ強引に体を起こされてしまった。
「レスティアーナ姫、この際俺をいくら罵ってもかまわんから、とりあえず泣き止め。な?
乱暴な姿勢が気に入らなかったんなら、いくらでも謝るから。だから……な?」
彼は困ったような顔で私を見ていた。だが、それは決してふざけたものではない。
その目は、確かに私を真剣に心配している目だった。
だからこそ、私はより悲しくなった。
「違う……そのようなことで泣いているのでは……ない……」
止まらぬ涙の中、私はなんとか声を出す。
「情けない……のだ。私は国にも父にも、信じていた人にも捨てられ、自分の体や心すら捨てさせられたようなものだ。
だからこそ国のための“人形”となったはずだったのに……」
言ってるそばから涙が溢れる。言葉にするごとに、その事実が刃のように自分に突き立てられていくような痛みが加わるのだ。
「喘ぎ、罵り、あげくに泣き叫んで拒絶し懇願だ!
何もかもを捨てたと言っておきながら、私はまだ男に戻る事を期待して、
さらなる痴態をさらすなど……私はモノにすらなれてなかったのだ!
これを無様と言わずに何と言うのだと……う、うああぁぁ!」
そこまで言うのが精一杯だった。溢れる涙を押さえる事ができず、私は再び顔を押さえて泣き始める。
今すぐこの場で命を絶ちたい衝動すら覚えながら、私は嗚咽を漏らし続けた。
が、ヴァルターはそんな私を見て呆れたように溜息を付くと、唐突に私の頭を小突く。
「でもなぁ、こうしねぇとお前が死んじまうんだから、しょうがねぇだろ?」
唐突な痛みと、彼のいささか理解に苦しむ言葉が私を少し冷静にさせた。まだ止まらない涙を押えつつ、顔を上げて彼を見る。
「だからよ、死ぬよりマシだろって言ってんだよ。どんな姿だろうと、生きてりゃいい事もあるってもんだろ。
男に戻っても死ぬだけじゃあ、意味ねぇしなぁ」
「……国が無くなれば、我々も存在しえぬ事は理解している。だが私の悲しみはそのような……」
「だーかーら、そうじゃねぇって。お前の命の事を言ってんだよ」
話が噛み合わない。その奇妙な状況にさすがに私も涙を浮かべたまま、思わず首を傾げる。
そんな私を見たヴァルターは、何か驚いたような顔を浮かべた。
「お前、まさかそんな事すら聞いてなかったのか?」
「そんな事とは……何だ?」
私の返答に彼は手を顔にあてて天を仰いだ。明かに信じられないという感じで首を振った後、再び私の方に向き直る。
「ほんっとに何も聞かされてなかったんだな。
お前さんのその悲壮感しかないような態度も、ようやく納得がいったっつーか……」
「どういう事なのだ、はっきり申せ!」
彼の煮え切らない態度に、私は思わず怒鳴り返す。
先ほどまでの悲壮感はどこへやらという感じだが、
何か私の知らぬ事情を彼が知っているというのなら、聞かぬわけにはいかない。
睨みをきかせる私にヴァルターはしばし困ったように天井を見上げ、
痺れを切らした私が再び問い詰め様かと思った頃に、ようやく口を開いた。
「お前さ、自分の母親がどんなんだったかは知ってるか?」
「それが何の関係が……」
「いいからとりあえずいくつか答えろ。母親の事はどれだけ知ってる?」
いささか意図がわからぬ質問だが、どうやら先ほどのこちらの問いと関連があるらしい。
とりあえず私は素直に答えることにした。
「私が幼き頃に死別した事しか知らぬ。肖像画すら無いから、姿すら知らぬが……」
「じゃあ、お前が受けた性転の呪文については?」
「禁呪であるとしか知らぬが」
「では、魔族と人との間に生まれた子に、極めて稀に起こりうる病は……」
「それが何だと?」
「いいから知ってるのか? 知らないのか?」
「……エリシアから学んだ事がある。確か身体にある魔の遺伝子と人の遺伝子が拒絶反応を起こしてという……」
そこまで答えて、私は何かとてつもない不安に捕らわれた。今までの話が一本の線で繋がろうとしている。
いや、その不安を覚えたという事は、それを予測したという事だ。
だが、そんなバカなという考えがそれを打ち消けそうとする。
しかしヴァルターが次に発した質問は、その不安をより確定的なものにした。
「その拒絶反応を、女のみが回避する方法があるのを知ってるか?」
「嘘だ!!」
唐突に叫んだ私にヴァルターは何事かと驚く。
そんな彼を尻目に、私は自分の中に浮かんだ“ありえない話”を、頭を振って必死に打ち消そうとした。
「うそだ……そんなの嘘だ! 母上が……? 私が?」
無意識のうちに、思っている事がそのまま口に出る。
そんな私のが漏らす言葉を聞いて、ヴァルターもようやく事の次第を納得したらしい。溜息をついて私の肩に手を置いた。
「理解したようだな。たぶんお前さんが思ってる通りだよ」
「そんなバカな! そんな事が信じられるわけ……」
「じゃあ言葉ではっきり言ってやるよ。お前の母親は魔族で、お前は確実にその血を引いている。
そしてお前は不幸にも人魔遺伝子拒絶の病を患い……」
「やめろ! 言うな!!」
怒鳴り、彼の言葉を止めようとする。何故なら彼が確実に「私の望まない答え」を話すと確信しているからだ。
だが、彼はその言葉を止めはしなかった。
「……そいつを治すには、女にしか受けれない治療法を受けるしかなかった。そう、魔族の男の精を体に受けるという方法をな」
「嘘だ……嘘だあああぁぁ―――っ!!!」
私は叫び、ベットの上に突っ伏す。だが、もはや聞いてしまったそれを否定する術はない。
信じられなかった。いや、信じたくなかった。だが、彼が嘘を言っているとは思えない。
だが、予想だにしなかった現実を、心が理解できないのだ。
それが本当だと言うのなら、これまでの行為はまったく別の意味を持つ。それは彼の存在自体を根底から揺るがすものだ。
「じゃあ証明してやろうか。証人がいればいいんだろう?」
その時ヴァルターが唐突に言葉を挟んだ。彼はベット横にある本来は使用人を呼び出すための魔鈴を弾く。
音はしない、だがすぐにこの部屋のドアをノックする音が聞えた。
「いいぜ、入ってくれ」
ヴァルターの指示で静かにドアが開き、一人部屋に入って来る者がいた。
月明かりとベット脇の魔術光だけの暗い部屋を、ゆっくりベットに近づいてくる。
そしてその顔が確認できる距離まできた途端、私はその見覚えのある顔に驚いた。
「エリシア……?」
間違いない。その艶のある栗色の髪と、翡翠のような瞳。
そして王に認められた宮廷魔道士しか着る事の許されぬローブを羽織ったその女性は、間違いなくエリシアだ。
私が最も信頼していた人間の一人であり、そして私に禁呪を施した張本人。
「さすがにお前の親父……義父さんは引っ張ってこれねぇからな。ま、事実関係確認するには彼女で十分だろ?」
ちゃかすような口調でヴァルターは説明するが、その態度に怒っているような状況ではない。
あの性転の儀の後、私は裏切られたという怒りから彼女に手を上げ、あらゆる言葉で罵倒した。
それに対し一切の弁明もせず、私の問いかけに一言も言葉を発しなかった彼女。
それ以来、私は彼女の一切を存在なきものとし、話す事も、姿を見せる事すら拒否した。
だが、あの儀がヴァルターの言う通りの事実を内包していたとするならば、それは完全に誤解に基いた行為だった事になる。
とりあえず私は一番の疑問を素直に問う事にした。
「ヴァルターから聞いた。本当なのかエリシア? 君はその事を知っていたのか?」
私の言葉に、エリシアは目を伏せたままだった。
「エリシア!」
もう一度強く名で問う。暫しの沈黙の後に、彼女はようやく口を開く。
「……ヴァルター様の言われた事は本当です。こうするしかレスター様が助かる方法は無かったのです」
「だったら何故私に真実を伝えなかった! 何故理由を話さなかったのだ!」
「言えばレスター様は、素直に従ったというのですか!!!」
私の怒りを含んだ言葉を、エリシアがさらなる怒号で打ち消す。見れば彼女の頬には、一筋の涙がつたっていた。
「幼き頃から魔族を仮想敵とし、次なる王となるべくして育てられてきたレスター様に、
自分が魔の血を引き、親が魔族であった事を受け入れられたのですか!!
そして何より、自分の命のために王を捨て男を捨て、敵の元に嫁げと言われれば、従えたのですか!!
誇り高きレスター様は、それならば命を捨てる方を取ると申されたのではないのですか!?」
そこには私が見た事がないエリシアがいた。
聡明で冷静、そして笑顔を絶やさなかった彼女の、初めて見る感情を爆発させた姿。
かつての彼女を知る身として、その姿はあまりに痛々しい。
「…………」
私はレスター様には生きていて欲しかった。それは国王様……レスター様のお父上とて同じなのです。
民のため国のためなど、半ばこの手段を取るための言い訳にすぎません。
此度の事、なによりレスター様に生き続けて欲しいから……こそ……」
そこまでが彼女の心の限界だった。エリシアはそのままその場で崩折れると顔を手で押え、伝う涙と嗚咽を必死に堪える。
私はかける言葉すら見つけられず、呆然とすることしかできなかった。
「禁呪を使った魔道士は、本来なら死の谷にいる魔獣に生きたまま食われる極刑だ。
しかもその前にあらゆる苦痛を与えるといわれる拷問を受けた上でな。
そういうリスクがあった上での彼女の行為を、レスティアーナ姫はどう思う?」
ヴァルターが何か嬉しそうに質問してくる。嫌味なやつだ。
あの涙を見てなお、私が彼女が裏切ったなどと言うと思ったのか? 私もそこまで強情でも鈍感でもない。
私はベットから足を下ろすと、その脇で膝を付いて泣くエリシアをそっと抱きしめた。
「すまなかった。私の至らなさが、あの日からずっと君を苦しめていたんだな」
彼女の耳元で静かに囁く。その一言にエリシアは私を見上げた後、今度は涙を隠そうともせず私の胸の中、大声で泣き始めた。
彼女は私を裏切るどころか、何より私のために自身の命すら賭して苦渋の決断をしたに過ぎない。
彼女の涙は、間違いなく自分が苦しめた結果なのだ。そう思うと自分の愚かしさに怒りすら覚える。
「ありがとう、エリシア……」
胸の中で童女のように泣く年上の魔道士の頭を、私はいつくしむように優しく撫でた。
ようやくエリシアが泣き止み落ち付いた頃、私は自身が何も身に着けていない状態だった事を今更ながら気が付いた。
急に恥かしくなった私は何か羽織る物でもないかと視線をめぐらす。その時ふと、ベットの上に座るヴァルターと目が合った。
「よし、じゃあエリシアにも脱いでもらうか」
何を思ったか、唐突にヴァルターはとんでもない事を口走る。
すぐに言葉の内容を認識できずに硬直しかけたが、それを頭が理解した途端、私は彼の顔面にベットの枕を投げ付けた。
「と、突然何を言う! ふふふざけているのか!!」
思わず怒鳴り散らすが、彼の顔はいたって真面目だった。
無論真面目な顔してふざける輩というのも世の中にはいるが、生憎そんな雰囲気ではない。
「ふざけてなんかいねぇよ。なんなら王の命令として言ってもいいんだぜ」
その一言に、私も冷静さを取り戻す。公的な命令を持ち出しても良いという以上、理由があっての指示なのだ。
エリシアに視線を向けると、彼女は静かに頷いた。
「わかり……ました」
エリシアもそれを理解したのだろう。羽織っていたマントの留め金に手をかける。
いささか恥かしそうに服を脱いで行く彼女を余所に、私は呑気にベットの上であぐらをかくヴァルターに怪訝な視線を向けた。
「いかな理由か、説明してもらえるのだろうな?」
「そりゃまあ当然だが……ま、とりあえずレスティアーナ姫、ここに座れ」
「だから理由を説明しろ」
「してやるからここに座れって」
彼は妥協しようとしないので、私は不承ながらベットに上がり彼の前に座る。
すると彼は私の後ろに回り込むと、そのまま私を抱え上げてあぐらをかいた膝の上に座らせたのだ。
「なな、何をする! こんなっ……!」
突然のことに思わず慌て彼から離れようとするが、背中からしっかりと抱きかかえられ逃れる事はできない。
体の密着感、そしてなにより尻のあたりにある彼自身の固い怒張が当たる感覚に、体が一気に熱を帯びる。
そして彼の手が、背中から胸と股に延びた。
「ば、ばかっ! 説明をするのでは……あんっ!! や、やめっ……あうっ!」
ヴァルターの手を掴んでそれを止めさせようとするが、彼の手は止まらない。
リズムよく胸を揉み上げ、慣れた手つきで秘部を撫でる。
「説明はしてやる。だけど準備も一緒にした方がてっとり早いだろ?」
「じゅ、準備って何の……」
「だからそいつを説明してやるって。とりあえずレスティアーナ、お前の体についてだが……」
ヴァルターの手が蛇のように体を撫で回す。触られ、肌を刺激されるたびに息が荒くなる。
「性転の禁呪ってのは案外と不安定でな。変身するこたぁできるんだが、
しばらくの間は変身した側の霊的な性のエネルギーが足りなくなっちまう。
ま、魂のレベルで肉体について行けないんだろうな」
「あぅん……それが……何の……ふあっ!! かんけ……いが……きゃあぁん!」
後ろから耳たぶを噛まれ、思わず叫びびくんと仰け反ってしまう。
「だからしばらくは転換した性と同姓の者とも体を合わせた方が、霊的な安定において無難なんだそうだ。
まあそんな役目なら、家臣に適任者はいくらでもいるんだが」
「そ、それって……んんっ!」
「レスティアーナも、どうせなら知らない人間に弄ばれるよりは、知った人間に抱かれる方がいいだろう? そういう事だ」
「そんな……こと……」
「じゃあ赤の他人の方がいいか? それに彼女も、嫌ではないみたいだぜ?」
「え…………?」
ヴァルターが手を止め、私の視線を促す。
その視線の先、すぐ目の前にはすでに服を脱ぎ捨て頬を赤く染めてこちらを見るエリシアの姿があった。
「わたしにレスター様と肌を重ねろと、ヴァルター様はそうおっしゃるのですか?」
「”レスティアーナ”とな。お前にとっても悪い話じゃないんじゃないのか?」
エリシアの問いにヴァルターは意味ありげな笑みを浮かべて答えると、
そのまま私の後ろから離れベット脇にある椅子に足を組んで座った。
「嫌なら無理強いはしねぇぜ。代わりの者にやらせるだけだ」
何か嬉しそうに話すヴァルターとは対照的に、エリシアは無言でその言葉を聞いていた。
そしてしばらくの沈黙の後、彼女はベットに静かに膝を乗せる。
「え、エリシア? まさか……」
「レスター……いえ、レスティアーナ様、失礼いたします」
明かに決意を決めた顔で、彼女は私を覗き込んでくる。
そしてその手が私の頭に回され、その顔が静かに近づいてきた時、私は彼女の意思を悟った。