それから十日ほどの間、真希たちに関する手がかりは全く得られないままだった。
向こうが何らかのアクションを起こしてきたという情報はまったく入ってこない上、
何かあるまでむやみに動かないようにとの研究所の指示もあって、裕紀はどうすることもできなかった。
勝手に行動しようかとも思ったが、この前の一件のことを考えればそうも行かない。
それに、大学の研究室も当然ながら誰もいない。
裕紀は、食料の買出しなど最低限の外出以外は、アパートに閉じこもった生活を強いられることになった。
「はあ、参ったなあ・・・」
鏡を見つめながら、裕紀は深いため息をついた。
なにしろやることがない。
外に出て行こうといっても、あてもなく女の姿で外に出て行くことには抵抗があった。
最低限の外出でも、厚着をしてなんとか女の体を隠していた。
家でやることといっても、勉強なんかする気にもなれないし、ゲームも飽きた。
それで、部屋に置かれた鏡をみて、暇つぶしにでもと化粧の練習を始めてみた。
木村からのありがたいのかそうでないのかよくわからないプレゼント。
最初は化粧のマニュアル本を見ながら真似してやってみた。
口紅もアイシャドウも物凄いことになり、厚化粧おばさんか下手すりゃオカマかと思うような不細工な顔になった。
自分の顔を見てとりあえず笑った後、鬱な気分になって化粧を落とした。
何回かやっているうちにだんだんとコツをつかみ、手つきも手馴れてきた。
それでも初めのほうは化粧していると一目でわかるような粗い化粧だったが、
だんだん自然に見える化粧ができるようになり、いろいろな小道具を使ったテクニックも身についてきた。
いまの鏡には、もともと美しい素材だったのが自然な化粧でさらに引き立てられた綺麗な女性の顔が映っている。
男だった頃なら、その顔を一目見たらまちがいなく惚れていただろう。
その鏡に映った自分の顔を見て、裕紀はまた一つため息をついた。
「はあ・・・こんなことやっても真希は助けられねえし・・・
男に戻ったらこんなの意味なしだしなあ・・・はやくなんか起きねえかなあ・・・」
その時、携帯電話のベルが鳴った。
裕紀が持っていたものではなく、研究所から支給されたものだ。
通話ボタンを押すと、木村の声が聞こえてきた。
「裕紀君か? 佑一君のマインドコントロールを解くことができた。今から来てくれるか? 迎えの車はすでによこしてある」
◇◆◇
研究所の一室。
研究室のような雰囲気で、書類やら本やらがあちこちに乱雑に積まれ、実験器具やパソコンもあちこちに置かれていた。
裕紀が部屋に入ると、奥でパソコンに向かっていた木村が手を止めてやってきた。
「ほお・・・ずいぶん綺麗になったね、裕紀君」
裕紀の顔をじっとのぞきこむ。
「やめてくださいよ、木村さん」
「いや、お世辞抜きで本当に綺麗になった。いままで私がプレゼントした化粧セットで一生懸命練習してくれたのかな」
「たまたまやることなかったから暇つぶしにやっただけですよ」
そっけなく返事をし、木村から顔をそらす。
「またそんなつれないことを。素直になったらどうだい? どんどん美しくなってく自分の顔にはまったんだろ?」
「・・・」
「図星かな? はっはっは。それに綺麗でいるのは悪いことじゃないぞ」」
「そんなことより、佑一は?」
「おお、君のときと同様ずいぶん手間取ったが何とか上手くいった。もう支度もできてるぞ。おーい、佑一君!」
木村に呼ばれて部屋の奥から出てきた少女に、裕紀は目を見張った。
以前の制服姿ではなかったが、カジュアルな格好のツーピース。
ミニスカート姿なのに、顔を赤くして恥ずかしそうに伏し目がちな目をしている。
肩まで届く長さのしなやかな黒いロングヘアー。
半そでから伸びる細い腕で、何とかという感じで両手で荷物の大き目のバッグを前に提げている。
か、かわいい・・・
つい先日あのような激しい行為を交わしたはずなのに、その時とはまた違った魅力を発散させる目の前の少女に、
裕紀は思わず目を奪われた。
「おいおいどうしたんだ、二人とも? そんなに見つめあっちゃって。佑一君、彼女・・・オッホン、彼が裕紀君だよ」
「お、おまえ・・・本当に、裕紀?」
少女がその外見やかわいらしい声に似つかわしくない言葉遣いでおずおずと口を開く。
「お・・・おう。佑一・・・だよな?」
こくんと少女がうなずく。
「佑一君も最初の君と同じようにまだ自分が女の子の体になったということを冷静に受け入れられてない状態だからね。
裕紀君、佑一君のフォローは君に任せるよ」
「えっそんな、木村さんがやってくれるんじゃないんですか?」
「一日も早く真希さんを助けたいといったのはどこの誰だったかな?」
「うぐぅ・・・」
そういわれては反論できない。
「さ、そんな他人行儀でいないでもっと近づいたらどうだ?」
木村が佑一の背中をどんと強く押した。
いきなりのことに、佑一は裕紀のほうに押し出され、よろけてしまった。
何とか体勢を立て直して顔を上げると、目の前に裕紀がいた。
それで、二人は至近距離で見詰め合う格好になった。
「あの・・・すまなかった。俺のせいでおまえまでこんなことに巻き込んじまって・・・
ただ・・・わがまま言ってごめん。真希たちを、みんなを助けるために、協力してくれ、頼む!」
裕紀は地面に手をつき、佑一に謝った。
「・・・くくくっ・・・」
少女が可笑しそうに笑った。荷物を置き、頭を下げたままの裕紀に顔を寄せる。
「おまえ、ほんと面白いよな。さっきの俺を見る目。なんかマジで惚れてたって感じだよな。
それに化粧までばっちりきめちまいやがって。本気で女に目覚めちまったんじゃないか?」
裕紀の体がプルプルと震えた。
「ははっ、冗談だって冗談。それにしてもほんと綺麗になってるよ、おま・・・」
そこまで言いかけて、裕紀が顔を上げているのに気づいた。その目が妙に殺気立っている。
「う、うわーっ!」
佑一は慌てて逃げ出した。
「てめえーっ!せっかく人が心配してやってきたってのになんだその態度はぁーっ!」
「なんだよ、おまえのこと誉めてやったんじゃねえかよ、『綺麗なおねえちゃーん』」
「このやろー!なんならもういっぺん犯してやろうか!」
「ひえー!助けてくれー!」
「はっはっは、元気があって結構なことだ」
部屋の中をかけまわる二人の少女を眺め、木村の表情は実に満足そうだった。
研究所からの帰途、裕紀と佑一はまた目隠しをされ、車に乗りこんだ。
市街地らしきところを渋滞にでもはまったのか、ずいぶん長い時間ノロノロ運転を繰り返しながら走っていく。
やがて車が止まり、二人の目隠しが取られた。
「あれ、ここは・・・」
「どういうことです? 木村さん」
そこは二人が住んでいる町ではなく、都心のターミナル駅前だった。
「すまない、二人とも。我々はこれから大事な会議に出なければならなくて君たちの町まで送っていく時間がないんだ。
部下に送らせようにもあいにく今日はみんな出払ってしまっている。申し訳ないが、ここから電車で帰ってほしい」
「マジですか。勘弁してくださいよ・・・こんな格好で電車に乗るなんて」
うなだれる裕紀。佑一も相当戸惑っているようだった。
「そう心配するな。今の君たちはどこから見ても完璧な女性だ。
このあたりにたくさんいる女装してるニューハーフあたりと勘違いされることもない」」
「いや、そうじゃなくて」
「なんだ、痴漢の心配か? なんでもここから君たちの町へ行く電車には女性専用車両がついてるそうじゃないか。
それに乗れば痴漢されることもないだろう。私も一度乗ってみたいな。なにしろ女の園だろうからな、はっはっは」
「だから、そうじゃなくて」
木村は腕時計に目をやった。
「おおっといかん。早くしないと遅刻してしまう。さあ行った行った」
「ちょ、ちょっと・・・」
勢いに押され、二人は無理やり車から降ろされてしまった。
走り去る車の助手席から木村がのんきにも二人に手を振っているのが見えた。
「あいつめ・・・今度会ったらどうしてくれよう」
「裕紀、早く行こうぜ・・・恥ずかしいよ」
佑一が裕紀の袖を引っ張る。
見ると、道行く人々が皆裕紀たちの方に目をやっている。
特に男など、あからさまにいやらしい目つきで見つめてくる奴もいた。
頭が半分禿げかかったおっさん、いかにも頭の悪そうなナンパ野郎・・・
裕紀は気分が悪くなった。生理的な嫌悪感とでも言うのだろうか。
以前は意識しなかったが、こんなに男という物を生理的に受け付けなくなることがあるのかと思った。
そりゃあ前に満員電車に乗ったときにおっさんの強烈な体臭に閉口したこともあったが・・・。
「行くぞ、佑一」
小声で言うと、改札口のほうへ足早に歩き出した。
「あ、おい、置いてくなよ〜」