この世界では季節柄、雨が多い。
一言で区切ったが、それはそれほど単調なものではなく。
雨の降らない日も決して少なくはなかった。
雨そのものも単調とはいえない。
雲は厚く覆ってはいるが、その高低は入り乱れており、高速で動く雲はそれなりに見応えがあった。
雨音は強く、遠くに明るい空が見えるところから、雨はそれほど長くは続かないことが予測できた。
俄か雨は外に出ようとするなら鬱陶しいことこの上ないが、眺めている分にはそれなりに心地よくもある。
雨上がりには虹が見られるかも知れない。
気分が高揚するのは、自分が子供っぽいからではなく、この世界が珍しいからだろう、と少女は一人で納得する。
少女、ニールの故郷は既知のもので埋められている。
この世界ではない、だがこの世界のもの。
世界の既知成るもので埋められた世界。
ニールはそんな世界の深奥、夜を監視するために生まれた。
監視するためだったら、自我など要らないだろう。
役割が決まっているのなら、意思など必要ないはずだ。
役割に対して、役割だけの機能を割り振ることはひどく合理的に思えたが、実際にはそうはならず、ニールは意識を持って誕生した。
それは理由のあることではなく、アィシルが古いしきたりに則っただけのことなのかも知れない。
もしかしたらアィシルはしきたりを変えたかったのかもしれないが、
意思を持たない無生物たるアィシルにはそれ以外の手段を思いくことが出来なかったのかも知れない。
だが、意思を持つか、持たないかといったことは少女の役割には関係がない。
夜の監視を放棄することは、彼女の世界の終わりを意味するのだから、ニールには否応がない。
例え、まともに意識を持つものが、その世界に彼女と夜そのものしか残っていなかったとしても。
十数年間、監視を続けた結果として導き出したことは、夜はニールの予測を超えて強かったということ。
夜を抑えることが出来なくなったことはニールにとって悩みになったということ。
唯一の悩みにして、彼女が存在する唯一つの理由。
…それは現在も続いている。
ニールの考えを中断したのは、それほど唐突でもない呻き声だった。
「うーうー」
ニールの目の前には一人の少女が机に突っ伏している。
自身とそっくりの容姿の少女。
彼女の名前をさやといったが、もともとからこの名前だったわけではない。
だが、以前からこの少女がこの少女であったわけでは無いのだから、少女はもとからこの名前だったと言うことも出来る。
主張して意味のある理屈でもなかったが。
黒髪黒目の少女。
ニール自身は髪に魔法による色が薄く懸かっていたが、それ以外は少しの違いも見受けられない、自身と瓜二つの少女。
彼女の部屋で、ベッドを椅子代わりに座ることがニールの定位置になりつつあったように、机に向かうさやも、それが定位置なのだろう。
部屋は乱雑で、同人誌が散乱する。
さやにはこれが普通なのだろうが、ニールにとっては目のやり場に困るものがある。
突然の闖入者たるニールなど知ったことか、どうか、
毎日毎日、彼女はウェブに何か書き込みながらオナニーをしたり、
アニメを見ながらオナニーしたり、エロゲをしながらオナニーしたり、忙しい。
そんないつものサイクルが中断されたことは珍しいと言えた。
ニールは彼女の行動にいちいち驚くほどではなくなっていたが、彼女の行動を把握できるというほどでもない。
「うーんうーん、まんこから血が出てるよう。気持ち悪いよう、痛いよう」
「ぇと」
ニールは一呼吸おいてから付け加える。
「いつも返答に困るのは、この世界を私がよく知らないせいじゃないと思うんだ」
「…これはもう死ぬかもわからんね……」
「ただの生理じゃない」
さやに対して半眼で告げるが、特に効いた様子もない。
効いたことがあった記憶もなかったが。
「なんというか、自分がどこに座っていたのか忘れていて、立ち上がったら頭の上に鉄棒があったときのような、そんな理不尽な痛みがずっと」
「まあそういうものだし…我慢しようよ」
生理は軽い人間と重い人間に分かれる。
ニール自身は軽いほうではなかったが、他人になったこともないので何とも答えようがない。
そもそも、ニールの場合、いよいよ辛くなればこの世界の接点を切ればそれで済むのだから、判断材料にもならないだろう。
さやは耐えるしかないだろうが、彼女に対しては大袈裟補正を持つべきだったので、やはり判断材料にはならなかったが。
ふと思いついたので、聞いてみる。
「ナプキンとか持ってる?」
「持ってたらタオルとか敷いてないし」
「性別がどうのとかはともかく、恥じらいぐらい持とうよ」
「…部屋だしどうでもいい…動くの辛いし」
椅子の上に突っ伏しながら、さやが呻く。
そんなに辛いならネットは止めればいいのに。
ネット中は全裸なのも理解出来なかったが。
「ぇと、ちょっと待ってて。取ってくるから」
辛そうに呻くさやに対して、それだけを言う。
この世界のものではないが、女の子なら生理用品くらいは用意するべきだろう。
生々しいという話からは生物からは切り離せないもので、生きている限りどんな人間の周りにも付いて回る。
必要か必要でないかではなく、単にあるというだけのこと。
「…うぃ」
いつもの元気も無く、力無くさやが答える。
どうやら本当に辛いらしい。
…倒れられたら、彼女を媒体として力の補完をはかるニール自身にとっても不都合が生じるだろう。
それ以外の理由は無い、はず。
ニールは心の中で頷くと、次の瞬間、世界の座標から肉体を消失させた。


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