結局のところ、レイに頼る以外の方法はない。しかし肝心のレイも、クローンが女性化した理由が全く解らないのだから、期待はできないだろう。
元の身体から生まれたクローンは、最初から女性だった。
シャワー後、レイに連れられて入った彼の研究室ともいうべき場所で、和泉はそう説明された。他にも生理のことなど色々。
「今の君の身体は、他の十代女性となんら変わるところは無い。覚えておいた方が良いだろう」
「それはいーんだけど…なんでそこまで詳しいんだ?」
「長い間生きていれば、自ずとこんな知識も身につく。色々な研究をしていればなおさらだな」
言って、彼は自分の机を叩いた。今までに生物学や物理学など、色々なことをやっていたらしい。
「時間だけはそれこそ腐るほどあったのでな。今となってはムダ知識も多いが。…そうだな、合わせて1000へぇは固い」
「いやそれは別にいいけど…腐るほど?」
「ああ、言わなかったか? 私も吸血鬼…ヴァンパイアの真祖だ。かれこれもう百年位は生きてるな。正確な年数は忘れた」
なんとなくそんな気はしていたので驚きはしなかったが…さきのトリビ○の話といい、
忘れたといい…なかなかすちゃらかな性格なのかもしれない。
和泉はこっそりと認識を改めた。
「ふぅん」
「血もここ数十年吸ってないな。まぁそこまで生命活動に関わるわけでもないしな」
「きゅう…ヴァンパイアって、普段は何食べてるんだ?」
「人間と同じように嗜好が存在するからな、一概には言えん。私はもっぱらコーヒー等だが」
「…だからか」
「何がだ?」
「…俺朝から何も食べてないんだ」
つまり、食事が無かった理由。気まずい沈黙が流れる。
「…すまん。失念していた」
和泉の腹がくるるる…と可愛らしい音を鳴らすのと、レイが苦りきった顔で言ったのはほぼ同時だった。
「…しかしだ」
「ん?」
「そもそもこの家には食べ物が無い。確かハバロネくらいはあったと思うが」
「食べ物が無い理由は想像つくけどハバロネがある理由が解らんぞ…」
「以前友人が送りつけてきてな。買ったはいいが辛くて食べられなかったらしい」
送るなよ。胸中でツッコむ和泉。
「食材を買ってきて料理するという手段もあるが、現状では現実的ではないな。どこかに食べに行くとしよう」
『え…?』
ふと和泉が凍りつく。レイは『彼』に不思議そうに視線を向た。
『どうした?』
『外…行くの…?』
『ああ。嫌かね?』
『あんまり…この状態で外は…。ほら、表沙汰には出来ないんだし、さ』
『…大丈夫だろう。君はどこからどう見ても美少女以外に見えない。そもそも信じないだろうし、身内とでも言えば切り抜けられるだろう』
『う…でもほら、俺今下着とか着てないし!服もこれじゃ流石に外出着には…』
そこでポン、とレイが手を打った。
『そうか、下着も買わねばならんな。服も合わせなければならないし…帰りに寄るとしよう。
それまでは私の服からいくつか見繕ってもらうことになるが』
うわ墓穴を掘った。和泉の心に後悔が押し寄せるが、時すでに遅し。最後の抵抗とばかりに言ってみる。
『そだ…お金! 俺はお金もってないぞ?』
『心配無用だ。全額、私が持とう。好きに買い物するといい』
あっさりと言い放ったレイが取り出したのは、
『ぷ…ぷらちなかぁど』
最高級、ゴールドの上のランク、プラチナカード。かなりの…もとい、相当な資産家の証である。
もちろん和泉はカタログ以外で見たことすらない。糸の切れた人形のようにかくん、と脱力する。
『ついてきてくれ。私の部屋に案内しよう』
約六時間ほど前の会話を思い出し、思い溜息。まさか身支度にこんなに時間がかかるとは思わなかったのだ。
和泉はひしひしと自分の精神を呪う。
(あんなに時間かけたらそりゃ人も増えるってば…)
食事しよう、と話していたのが午後二時頃、そして夕食をすませた現在の時間が午後八時。
六時頃にレストランに入店した事を考えると、相当な時間悩んでいたことになる。
和泉としては、なるべく人の少ない時間帯に行動したかったのだが。
レイの部屋でクロゼットを示されたところまでは良かった。
問題はその後。なかなか今の自分にしっくりくる、言い換えると違和感の無い服装を捜すのに相当な時間を費やしたのだ。
ああでもないこうでもない、と色々な服を試してみては、違和感に悩まされる。
男としての感性と女としての外観、その双方に合うものを探すのは、時間だけでなく体力も消費した。
以前のようにジーンズにシャツだけでいいだろう…そう思って試してみたら、なんとも言えない姿が鏡に映し出されたのだ。
(まるで彼氏の部屋に泊まった恋人みたいだったなぁ)
何ともいえぬ色香を放っているような気がして、真っ先に放り出した。
結局今の服装…大き目のハーフパンツと、厚手のシャツに上着という『変装した芸能人』のような無難な服装に落ち着いたのは一時間程悩んでからだ。
胸には何故かあったサラシを下着代わりに巻いている。
「うう…なんか恥ずかしいかも…」
週末の夜、駅前の雑踏を歩きながら小さく呟く。
理由は解らない…というより無いのだが、なぜか恥ずかしく感じてしまい、無意識のうちにレイとの距離を詰めてしまう。
とはいえ、レイも長身の美形、しかも銀髪だ。
距離を詰めることで『美形カップル』としてより注目を集めてしまっているという事に、和泉は気付いていない。
レイは気づいていたが、『これ以上何か言って追い詰めることも無いだろう』とあえて黙っている。
周囲に感嘆の溜息をつかせながら、二人は黙々とデパートに足を進めた。
「〜万六千円になります」
「カードで」
レジに出てきた金額と店員の声を聞いて、和泉がぎょっとする。その横でレイは澄ました顔で店員にカードを渡した。
(万単位…)
レイから食事中に服、特に下着のレクチャーは受けていたので、選ぶのにはさほど迷うことはなかった。
着けるかどうかはまた別だが、和泉がそれを言うと、
「有るに越した事はない」
との一言で数セット買う羽目になったのだ。これだけでも結構値が張る買い物なのに、そのあとは服まで選んだ。
値札が無かったので適当に見繕い、レイの家を出る前と同じような過程を経て(自分的に)違和感の無いものを数着選び出す。
さらにそれとは別に、レイが店員に頼んで和泉用に用意してもらった「女の子」の服数着を合わせた結果がこれだ。
あとは当座の食料品。
「…俺、服に万単位の金かけたの初めてだよ…」
帰り道、両手に買い物袋を抱えながら和泉はぽつりと呟いた。
力が無い為持っている荷物はもっぱら自分の服、しかも茶色い袋を両手で抱えて歩く姿はまさにゲームやアニメのヒロインの様だ。
「一気に買ったせいだな。流石に私も女性の服を着る趣味は無いしな、仕方ないだろう」
「ん…あとさ。服を選ぶのにあそこまで時間がかかるってのも初めて知った」
これにはレイは無言。和泉の表情から伺うに、その思考が女のものである事には気付いていない。
なので、彼は無難な言葉をかけることにする。
「君のメンタリティはまだ男だが、外見は女だからな。そのギャップを考えればこれも仕方のないことだ」
「そんなものなのかな…ってそれはともかく。なんでこんなオンナノコな服まで…俺は着ないぞ?」
「気持ちはわかるが、必要になるかもしれん。どうせ大した額じゃないしな、備えあれば憂い無しと言うだろう」
と、そこでレイはふと言葉を切った。「?」と和泉が振り返ると、彼のまっすぐな視線が向いていた。
「な、なに…?」
「いや…その服を着た君を想像してみたんだが」
ひょい、と肩をすくめる。
「そんな持ち方だから、なおさらだな」
「しょーがないだろ…筋肉付いてないし。重いんだから」
「人並みの筋肉は付いてるはずだから、やはり感覚の差だろうな。それもまた仕方の無いことだろう」
その言葉に和泉は、やはり肩をすくめるしかなかった。
レイの家は俗に言う高級住宅地の外れにある。家路を歩く傍ら、和泉はそれを実感した。
近辺の住宅と比較しても、多少立派に見えるのは気のせいではないのだろう。
流石にその地下に手術室モドキや研究室があるとは思わないだろうが。
「どうした?」
玄関の扉を開きながら振り返るレイに「なんでもない」と答え、家に入ってゆく。リビングに入り、ドサリと荷物を置くとレイが紅茶を淹れてくれた。
「初めてというか久しぶりというか…ともかく外出で少々疲れたようだが。大丈夫か?」
「あー、うん…平気。確かにちょっと疲れたけどね。いただきます」
「そうか。私はまだやることがあるので研究室に行くが、君はどうする?」
「俺はもう寝るよ。たった一日の間に色々ありすぎて…やっぱり疲れたかも」
「そうだな、ゆっくり休むといい。良い夢を」
「ん、おやすみ」
軽く手を振り、買ってきた服を抱えてあてがわれた部屋に戻る。
今日何度目かの溜息をつくと、紙袋からスポンジを取り出して、バスルームに放り込んだ。
「うー…やっぱり入らないとだよな…」
やはり気持ち悪いし汗臭い気もするので、シャワーを浴びたい。が、今朝のことを思い出して赤面する。
正直、また火がつかない自信は無かった。
というか…もう付いてるような気がする。
「性欲が抑えられないって…中坊じゃあるまいに…」
(今回だけ…そう、今回だけだ、自分の意志でするのは…!)
そう自分に言い聞かせると、和泉は深呼吸して覚悟を決めた。