僕、鈴木恵一は林道を走っている。今では珍しくなってしまったレシプロエンジンの音色が心地良く耳に響く。
この林道を抜けると我が家はすぐそこだ。僕はハンドルを握りなおした。
「理・・・」僕は助手席に座る新妻に声をかけようとしたがすぐに止めた。
旅行で疲れたのだろう、彼女は可愛らしい寝息を立てて眠っていた。僕はそんな彼女をかわいいと思いもうしばらく眠らしてあげようと思った。
彼女、笹原理恵と出会ったのは2年前、彼女が1年後輩として新興自動車メーカーアトラスエレクトロニクス、デザイン2課に配属されたときだった。
可愛いといった言葉が誰よりも似合う、そんな彼女を一目見たとき僕はすでに心奪われていた。す
ぐにでも告白しようとも思ったが僕には自信がなかった。
なぜなら、彼女を入れてもたった3人のデザイン2課のチーフであり、僕の大学からの先輩でもある竹原直人先輩がいたからだ。
竹原先輩は大学時代バスケ部のエースでとにかくもてた。
今ではバスケはやめてしまったが、それでも社内では常に女子社員の視線を集めるちょっとした有名人だ。
しかし、僕の予想ははずれ、嬉しい誤算が起きた。
彼女の方から告白されたのだ。僕は首を縦に振り僕たちは付き合い始めた。それから1年後、僕たちは結婚した。
気がつくとデジタル時計が17:50を示していた。僕はいつも聞いているラジオ番組を聞くためスイッチに手を伸ばす。
いつもは仕事帰りに聞いている番組はまだ始まっておらず無機質なアナウンサーがニュースを流していた。
『・・・つづいてのニュースです。私立岩田医科大学の桜崎教授が世界ではじめて脳移植に成功しました。
教授によるとすでに人にも応用は可能ということですが倫理面での問題も多く、実現の目処は立っていないということです』
ニュースが終わると流行の歌の軽快なサウンドと共に番組は始まった。
「ふーん、脳移植か・・・なんだかすごいね」
「理恵、おきてたのか?」
「ううん、今起きたところ。でも、脳移植なんてどんな人がするんだろうね?」
「さあね、僕ら凡人には想像もつかないな。そんなことより今夜のおかずの方が心配だよ」
「あはは・・・そうね」
僕と理恵は他愛もない会話を繰り返す。僕にとって理恵とのこの時間こそが何者にも替えがたい幸せそのものだからだ。
しかし、この幸せが途切れた映画のフィルムのように突如終わるとはこのとき思いもしなかった。