須々木健さん。旧姓は御幸健。性別は女性、年齢は26歳、身長は約180p。
この世のものとは思えないような整った顔、長いまつげ、スリムなボディー、スラリと伸びた足、大きな胸。
流れるような腰までの黒髪、季節感など微塵も感じさせない真っ黒いダークスーツ、黒いカッターシャツに黒いネクタイ。
つまり全身黒ずくめ。だが怪しい雰囲気などまるで感じない。
むしろ黒という色がこの人の持つ美しさをよりいっそう際立たてている。
愛車は黒のアルファロメオ、コーヒーはブラックが好き。
趣味は映画(おもにラブロマンス)鑑賞、好きな食べ物はアップルパイ、好きな言葉は「勧善懲悪」「悪即斬」。
好きなマンガは(母さんの影響で)ジョジョ。好きなスタンドはスタープラチナ。
職業は何でも屋、って言っても本当に何でもするわけではなく、主に個人や企業、警察などから依頼を受けて、
悪人の引き渡し、処罰、捜査の協力などを行っている。
要するに裏家業だな。ただし時代劇の様に悪人を殺したりはしない。
ただ、この人に処罰が委ねられれば死ぬよりも非道い目にあうだけだ。
『俺はサスペンスだとかホラーだとかが大嫌いなんだ。奇を衒ったり意表をついたりするのが嫌いなんだよ。
人があーだこーだ考えたり、泣いたり怖がったりするのが嫌いだ。
ベッタベタにありふれた、女のために男が命をかけるような、そんな物語が好きなのさ。
お約束の展開、王道のストーリー、使い古された正義の味方にありふれた勧善懲悪、熱血馬鹿に理屈馬鹿。
ライバル同士の友情にお涙頂戴のハッピーエンド。そういうのがほんっっっとうに大好きなんだよ』
歌うような高く透き通った声がバー内に広がる。
健さんは状況を確認するように周りを見渡してから、俺たちの方にゆっくりと歩を進める。
相変わらずすごい存在感だ。彼女が現れただけで明らかに場の空気が変わった。
『んだテメーは!?』
男たちの何人かが怒声を飛ばすが、まったく気にせずにゆっくりとこっちまで歩み寄ってくる。
『だからこういうのは嫌いだな。大の男が寄ってたかって1人の女を苛める。
しかもあろうことかヒロインを助けに来たヒーローは返り討ち。
それじゃあ駄目だろ。悪人が勝って終わる話なんて俺は認めないね』
流し目で俺の方を見る健さん。うっ…面目ない。
俺だってヒロインを助けるヒーローでありたかったけど実力がたりなかったようです。
今後はもっと頑張ります。こんなことがまたあったら困るけど…
『俺はまあ、あれだな。傷ついたヒーローの代わりに悪人共をブチのめすお助けキャラってとこだ。
ほら、よくあるだろ? 脇役が主役くっちまうの』
今度は視線を俺から連中に移し、話を続ける健さん。相変わらずの余裕っぷりですね。
つうか健さんが脇役なら俺なんて背景の草ですよ、あ、落ちてるゴミかもしれない。いや、出番すらなかったり…
そんな俺が主役だなんてとんでもない。主役は間違いなく貴方です。
『おい、貴志。あの人…』
心配そうな目で俺を見て小声で話しかける翔。
『大丈夫…あの人なら大丈夫だよ』
そう、まったく問題はない。あの人が来ればもう安心。
ちょっと俺が情けないが…何もしないうちにバトンタッチだもんな…
『最近はなんつうか、善人だが悪人だか分からない奴が多いんだよ。
善人なら善人らしく、道で困っているお婆さんを助けたり、拾った金交番に届けたり、信号守ったりしろよな。
悪人なら悪人らしく、人の物盗んだり、人を傷つけたり、信号無視したりしろよな。
分かんねーんだよ。最近の連中はあやふやでよ。白か黒かはっきりしろっての!
…でも、ま、今回はそういう意味では助かった。お前らどうみても悪人だ。
まさに悪人、正しく悪人。いいね、遠慮なくブッ飛ばせる』
ゆっくり、ゆっくりと連中のすぐそばまで足を進める健さん。口元は愉快そうにつり上がっている。
ものすごく楽しそうだ。かなり嬉しそうだ。
最近いろいろとストレスが溜まっていたのかもしれない。
『だから、まあ、なんつうの? ここが「お前らの墓場だ!」って感じだな。もしくは「みんなまとめてここで死ねィッ!」かな?』
健さん…それ、思いっきり悪役のセリフ…しかも2流3流、ショッカーレベルだ…
『おい、さっきから黙って聞いてりゃずいぶんと好きなことくっちゃべってくれるじゃねーか?』
堀田が声をあげる。それを合図とするように何人かの男が今度は健さんの周りを囲む。
健さんはといえば動きもせずにその様子を眺めている。
『だいたい1人で乗り込んでくるたあ、ずいぶん肝の据わった姉ちゃんだな。ははは、それとも単純に頭が悪りーのか?』
馬鹿にするように笑いながら堀田が続ける。周りの連中もニヤニヤしている。
連中にとっては健さんは飛んで火に入る夏の虫ってところなんだろう。
もしくは絶好のカモか…その認識はものすごく間違っている。
ものすごく間違っているのだが、こいつらにそれを教えてやる義理はない。
『ひょー、よく見たらアンタすげえ美人じゃねーか。いいねえ』
男の1人が感嘆の声をあげる。そして舐め回すような視線で健さんを見る。
それに続いて健さんを囲む輪から下卑た笑い声が漏れる。
『翔ちゃんと一緒に犯られに来ましたってか。素直だな姉ちゃん』
確かに健さんは絶世の美人だ。その女性を好きに出来るなんて男としては歓喜の極みだろ。
ゲスな連中なら尚更だ。ただ好きに出来れば、の話だが…
『おい、黙り決め込んでねえでなんか喋ったら…』
そう言って男の1人が健さんの腕を掴む。次の瞬間―――
『…へ?』
男の体が宙に浮いていた。なんてことはない、健さんが片腕で男の体を無造作に放り投げたのだ。
“ドシャ”
『ぎゃ!?』
間抜けな悲鳴をあげて落下する男。軽く6メートルは飛んだな…
横を伺うと翔が唖然とした顔でその様子を見ていた。周りの連中も同じ顔だ。
ま、そりゃそうだろ。どこの世界にあんな細い腕、しかも片腕で大の男を放り投げられる
女性がいるというのだ? ここにいるけど。現実は小説より奇なり、ってね…
『俺はまどろっこしーのも嫌いでね。雑魚は雑魚らしくいっせいにかかってこいよ』
シニカルに笑って大げさに腕を左右に大きく広げる健さん。まるでどこぞの舞台女優だ。
そうするとこいつらはエキストラの悪役ってところだろう。
『…ぐ…このアマぁぁぁぁぁぁ!』
一瞬怯んだ様子を見せながらも勇敢に、というか無謀にも自ら危険の渦に飛び込んでいく男たち。
まるで超特急の電車に飛び込む自殺者のようだ。うん、我ながら中々いい例えだと思う。
『よっこらしょっと!』
向かってくる男たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げる健さん。
具体的に言うと、まず初めに飛びかかってきた男の拳を軽々と避け、額にデコピンをする。
それだけで半回転しながら豪快にブッ倒れる男。
その後ろから殴りかかってきた男の腕を掴みそのままひっぱる。
すると面白いぐらいに自分の勢いと引っ張られた力で健さんの後方の地面にヘッドスライディングをきめる。
甲子園球児もビックリの見事なヘッドスライディングだ。盗塁は確実だな。
そして3人目の男には目にも止まらぬ速さで(本人はものすごく手加減しているだろうが)首元に手刀を決める。
その男はガクンと大きく顔がブレ、白目をむいて倒れたままピクリとも動かない。死んでない、よな…?
その様子を見てさすがにビビったのか汚らしい悲鳴を上げながら逃げようとする者も何人か出てきたが、
当然それを健さんが許すはずがなく、片っ端から悶絶させられている。
まるでホントに漫画の世界だな。デコピンで相手をブッ飛ばしたり、手刀一発で人を気絶させたりなんて…
健さんがすごいことは重々承知のはずだったのだが、間近で見るとさらに認識を改めさせられる。
『てめえこのクソブタがぁ!』
今度はバタフライナイフを持った男が健さんの前にでる。ナイフと言ってもチャチな作りでそう深々と刺せるタイプのものではない。
とは言っても一般の人間(俺なんか)をビビらすには申し分ないだろう。
ただ問題は…
『あん? なんだコレ?』
相手が到底一般人ではないということでして…
『な!?』
ナイフの刃の部分を指でつまむと、まるで細い木の枝を折るようにポキっとやる。
まるでオモチャだ。いくら大した物ではないとはいえ普通の人が簡単に折れるほどヤワな代物ではないはず。
『こんなもん使うから性根が曲がっちまうんだよ。ストリートファイトの基本は拳と蹴りだろうが!
その基本もなってない奴が刃物なんか持ちだすんじゃねー!』
少し腹が立ったのか健さんはそいつの顔に美しい足技をかます。
派手に吹っ飛んだ男は奥のカウンターに激突して沈黙した。
『クソ女、止まりやがれ!動くとこいつらブッ殺すぞ!』
いつの間にか俺と翔の前に特殊警棒を持った男が立ちふさがっていた。
正攻法では敵わないということにやっと気がついたらしく俺たちを人質にとったみたいだ。
『く…てめえ!』
翔が苦々しそうに声を出す。俺も普通ならそうしているだろうが健さんの前ではそんなことは…
『ふ〜ん』
男の言葉をまるで無視してずんずんとこっちに近づく健さん。
『おい! 聞こえねえのか! こいつら本当にブッ殺すぞ!』
『お前もヤクザもんの端くれならよ〜軽々しく「ブッ殺す」なんて言葉使うんじゃねーよ。
「ブッ殺す」って心の中で思ったのならその時すでに行動は終了してるんだろうが?』
プロシュートの兄貴ィ! いや姉貴ィ!
『そんなシャバイ脅しにビクついてこんな仕事はやってられねーってことだ。
止めれば気絶させえるだけで済ませてやる。だがその2人にほんの少しでも触れたら腕1本はもらう。好きな方を選びな』
ものすごい威圧感だ。関係ない俺までビビってしまうんだから当然この男は…
『う…うう〜』
ビクビクと見て分かるぐらい震えていた。その気持ちはよく分かる。だが同情はできないな。
そうしているうちにもドンドン健さんは近づいてきて…
『アリーヴェ・デルチ(さよならだ』
…右の拳で男を吹っ飛ばした。正直、気絶で済んだかどうかは分からない。
『あ、危ない!』
翔が声をあげる。一瞬何が危ないのか分からなかったけど、健さんの方を見て理解した。
健さんの後ろに男が忍び寄っている。あの手に持っているのは…スタンガンか!?
“バチィィ!”
健さんの背中に火花がスパークする。ここに来て初めて膝を折る健さん。
『へ、へへ、はははははは! ざ、ざまーみやがれ!この化け物、さんざん手間取らせやがって! お前は死ぬまで犯してやらあ!』
勝ち誇った顔で馬鹿笑いする男。まずい…あんだけ強力なのくらったら、いかに健さんでも…
『あ〜ビックリした…』
…大丈夫だった。
『な、ななななな!?』
驚愕の表情で後ずさりする男。まさか普通に立ち上がってくるとは予想だにしていなかったようだ。
さすがに俺も一瞬冷や汗をかいたが…あのスーツは絶縁性なのだろうか?
そのわりには背中の部分が少し焦げてるけど…
『ふ〜ん、最近はこんなもんも簡単に手に入るんだな。
確かに護身用には便利だが、こんな風に悪用されるとなると売る方も考えなくちゃな』
健さんは呆然としている男からスタンガンを簡単に奪い。
バチバチと確認するように自分の手にあててスイッチを入れている。
訂正、スーツが絶縁性なのではなく、健さんの体が絶縁性でした。
『ひ、ひいいぃ〜』
『ま、とりあえず自分でもくらっとけ』
今度は悲鳴を漏らして逃げようとする男の背中にスタンガンをあてる健さん。
“バチィィ!”
『ぎゃひ!?』
まさか自分のスタンガンで悶絶するハメになろうとは思っていなかっただろう。
間抜けな悲鳴だ…ご愁傷様。
『さて、と…』
残すところは堀田を除けばあと2人。完全に戦意を喪失しているみたいだけど…あれ見たあとじゃしかたないな。
まともな頭なら健さんに向かっていこうとは思わない。
『なにやってんだお前ら! とっととその女黙らせねえか!』
その2人に今度は後ろから堀田の怒声が浴びせられる。前門の虎、後門の狼。
いや、健さんとあいつでは、前門の空条承太郎、後門のケニー・Gといったところか…どっちにしろヌケサクにはつらい相手だな。
『『あ…ううう〜』』
2人とも見てて可哀想になるくらい震えている。なんつうか中間管理職、じゃなかった、下っ端はつらいな。
さっきまではボコボコにしてやりたいくらいゲスな連中だと思っていたが、いや今も思っているが、なんだが親近感が湧いてきた。
『で、お前らの大将はああ言ってるが、お前らはどうするんだ?
俺ははなっからお前ら1人も逃がすつもりはないが、さっきそこでブッ倒れてるナイフ持ったガキに言ったように、
大人しく降参するなら優しく気絶させるだけで済ませてやる。ただ向かってくるのならどうなってもしらねえ。お前らの問題だ。自分で決めろ』
健さんは満面の笑みで哀れな2匹の犬に優しく優しく言い聞かせるように語る。
…口調はまったく優しくないが。
『『ああ…え〜と』』
前と後ろを交互に確認しながら汗をダラダラ流している。
『そのクソ女の言うこときくつもりか、ああ?』
後ろは最早凶悪な本性を惜しみなく出している堀田。
『どうするぅ?』
前は美しい顔に聖母のような優しい微笑みを浮かべている健さん。
『……もう何もしませんから、許してください』
『お、俺も…』
結局2人は健さんをとった。うん、その選択は賢明で正しい。ただそれが本当によかったかどうかは別として…
『お前らぁ!!』
『おお、そうか。よしよし、いい子いい子』
“グシャ!”
微笑みを顔に貼り付けたまま目にも止まらぬ速度の拳を片方の男の顔にめり込ませる。
男は盛大に鼻血を吹き出して倒れた。
その様子を隣で見ていた男の顔が凍り付く。
『優しくって言ったのにィィィィ〜〜〜〜!』
そして悲鳴をあげる。
『ああ、スマン。ありゃウソだった』
“ドゴンォォン!”
まったく悪びれずにすっぱり言うと、男をサッカボールよろしく蹴り飛ばした。
派手に孤を描いて飛んでいく。あ、カウンターの奥にゴールした…
『どうだ? やられてみなければ分からんこともあっただろう? もう聞こえてないか…』
全滅。堀田を除いた13人がものの5分足らずで全滅した。
それをやらかした健さんは傷1つついておらず、息もまったく乱れてない。
強いて言うならスーツの背中の部分が少し焦げてるくらいだ。
俺の隣の翔はさっきからまるで思考が停止したかのようにストップしている。
俺は以前の一件で健さんのすごさを少しは理解してたからある程度耐性はついているが、初めて見る人間にはあまりに衝撃的だろう。
ちなみに俺は以前の一件で世の中には時速60qほどで走ってくる車を止めることが出来る人間がいるのを知った。
あの時はビビりすぎて思わず漏らしそうになったな…
『つうか誰も死んでない、よな…?』
健さんのことだから大丈夫だと思うけど…