ついに心の何かが、パチンと音を立てて弾けた。
「もう、いやだぁぁぁぁぁっ!」
俺はタブレットのペンを机の上に放り投げ、無線光学マウスをクレイドルに叩きつけるように戻す。
いくら大学が暇な時期とは言え、これはいくらなんでも無茶過ぎた。
線をなぞって、なぞって、なぞって、塗って、なぞって、塗って、なぞってなぞって……
眠らずにこんなことばかり繰り返していたら今に気が狂ってしまうだろうと、
俺はジャック=ニ○ルソンばりの素敵な笑顔を浮かべる。
年末恒例の巨大同人イベント『コミック・グランバザール(通称・コミグラ)』に出展する同人ソフトの開発に、
俺、等々力誠(とどろき・まこと)は駆り出されている。
十二月も半ばにさしかかろうっつーのに、まだ彩色が二十%しか終わっていないというのは絶対に無理があると思う。
というより、絶対無理だ。完成なんかしっこない。
コミグラの開催日程は、29日と30日。どうでもいいが、年末ぎりぎりというのが何とも凄い。
このソフトを売り出すのは30日の方で、前日の29日までになんとか完成させて徹夜で焼くってことになっているんだが、
俺を殺す気か?
メディアへの焼きこみと印刷までお願いしますなんて言われた時は、
あんまりにも頭にきたんで、その場で全部窓から捨ててやった(結局後で弁償したけどな)。
プリンタブルのメディアを三千枚も用意しやがって(しかもどこのメーカーだかわからない、謎の極安メディアだ)。
CD-R に焼くっつーたって、48倍速ベリファイ無しでやっても一時間で二十数枚がいいとこだ。
一人でやったら何十時間かかると思っているんだ、こいつらは。
何から何まで人任せか? 狂っていやがる、絶対に。
この面倒をねじ込んできたのは、左牧新之丞(さまき・しんのすけ)。
歌舞伎役者みたいな名前だが、母親が祖母から続く歌舞伎ファンだというのが、その名前の由来。
父親がマンガ家(作品が三作もアニメ化されている。
その上に、最近はちょっと……というかかなりエッチなマンガまで描き始めて話題になっている人だ)という、
生まれついてのオタク・エリートだったりする。もちろんあだ名は「しんちゃん」だ。
父親がマンガ家だけに、絵を描くのは巧いし早いのだが、なぜか完成させることがほとんどない。
つい一月ほど前に完成原稿を見せてもらったことがあるんだけど、これが、めちゃくちゃに完成度が高いものだった。
しかも背景、効果、ベタなど全て自分でこなしているってんだから、二重に驚きだ。
幼稚園児の頃から親父さんの手伝いをしてたから、当たり前といえば当たり前か。
最近だと、親父さんの週刊連載のサブキャラクターの下書きやペン入れなんかも新之丞がやっているっていう話だ。
話が大幅にずれたが、何しろこういうスーパー野郎なもんだから、
他人も同じペースで描けるって思い込んでしまっているんだな。周りのアシスタントもスーパーな人が多いし。
実際、あそこの親父さんの元から巣立っていったマンガ家は二十人を下らない。
俺も新之丞ほどじゃないが、並よりは上手いと自負しているし、手もそこそこ早い。
こんな環境で育ったあいつは、同人ゲームの企画を持ち掛けられた時、百枚以上の原画を瞬く間に上げてしまった。
さすがに俺も、これには驚いたね。
サークルの連中はそれを見て、即売れる! と思ったそうだ。
ラフ原画集なんてのをでっち上げて夏のイベントに出したら、なんとこれがバカ売れ。
聞いたところによると増刷に継ぐ増刷で、同人ショップ委託も含めて数千部が売れたそうだ。
札の乱舞を見て目の色を変えた野郎共は、こともあろうに冬のイベント合わせで同人ソフトを出すと、
サークルのホームページで宣言しやがった。
それが九月末。十二月末におこなわれる冬のコミグラまで三か月あまりを残しているとは言え、
ほとんどゼロの状態から作るなんて無謀にも程がある。
ぶっちゃけた話、金に目が眩んだわけだ。
ところがこのサークル、マジな話、新之丞以外にまともに絵が描けるやつなんか
ほとんどいないのだ(ちょっとしたイラスト程度なら描けるというなら、何人かいるんだが)。
新之丞と比べること自体が間違っているんだが、ラフ画以上のちゃんとした絵を描ける奴がゼロなのに、
新之丞なんていう「使えるヤツ」が入ってきたもんだから、のぼせ上がっちまったんだろう。
それに、新之丞に立ち絵も合わせると三百枚以上にもなるペイントまで全部やらせる気だったってのが狂ってる。
だが、新之丞はパソコンで絵を描くことなんか今まで一度もしたことが無いってことを、
サークルの奴等はころりと忘れていたらしい。普通忘れるか? そういうことを。
金ってのは怖いね。
原画集が魅力的だったからか、同人ソフトは影も形もないうちから予約殺到。
何を血迷ったのか、奴等は同人ショップを通しても予約受付を始めちまった。
しかもサークルの会長は、夏の売上げどころか予約金まで呑んじまった(要するに、着服だ。
その金は大量のエロゲや DVD BOX に化けたとか)もんだから、今更できませんでしたという言い訳もきかない。
サークルの連中も、新之丞以外は多かれ少なかれ売上げをパクったり、
その金でおいしいおもいをしているもんだから、非難もできないと人伝に聞いた。
十一月も半ばを過ぎて、体験版だけでも見せてくれという声が多く寄せられても、奴等は何も出せなかった。
当たり前だ。なんにもやってなかったんだからな。
サークルの会長(名前を聞いたが、忘れた。その程度の付き合いだ)は、
新之丞になんとかしてくれと泣きついたが、奴だってそこまで万能じゃない。
そこで白羽の矢が立ったのが、俺だった。
俺は新之丞と幼なじみだ。なにしろ、家が隣同士だからな。
ついでに言えば、俺のお袋もマンガ家で、親父はお袋の元・担当編集者。現在はお袋の個人会社のマネジメントをやっている。
実は新之丞の親父さんと俺のお袋は、結婚していたことがある。
でも一年経たずに離婚して(当時、お互いにめちゃくちゃ忙しかったそうだ)、それぞれ別の人と再婚したというわけだ。
離婚後も仲は結構良かったらしく、こうして隣同士に家を構えていることからも、それはわかってもらえると思う。
だから俺と新之丞は幼なじみというより、兄弟みたいに育ってきた。
言っておくけど、血は繋がっていないからな。
そんなわけで俺と新之丞は、インクとスクリーントーンとケント紙に囲まれた子供時代を送り、
今にいたっているというわけだ。
「肩が張って痛ぇなあ……」
俺が目を閉じ、こりにこった肩の筋を伸ばしていると、モニターの画面が省電力モードになった。
さすがに三台もモニターがあると圧迫感がある。
21インチのブラウン管モニターが一台と、これも21インチの液晶モニターが二台。
MPU は一世代前だけどデュアル環境だし、メモリは4ギガ突っ込んでいる。
グラボもデュアル環境で、どちらも2D表示では定評のある物を挿している。
これだとゲームはつらいので、もう一台、専用のマシンを組んで切替器で21インチモニターに繋いでいる。
大学生にしてはかなり気張った環境だけど、お袋の仕事の手伝い用マシンも兼ねているので、
このくらいでないと辛かったりする。
門前の小僧、習わぬ経をなんとやらで、俺もいつの間にか絵を描き始めて、
今では新之丞には及ばないものの、それなりの腕になっている。
なにしろお袋が少女マンガ家なもんだから、自然と絵のタッチも柔らかい、いわゆる少女マンガタッチなんだけどな。
だけど俺のあだ名、「熊男」なんだよな。
名前の「まこと」と外見から連想される動物の「熊」の合体。ガタイがでかいんだよ。
一メートル九十一で、体重も百キロ越えているしな。
今座っている椅子だって超高級品。一脚ウン十万って代物で、巨大な外国人でもびくともしないって物だ。
これはバイトや、お袋のアシスタントをして稼いだ金で買ったもんだ。この椅子でなけりゃ長時間の作業なんてできない。
俺の部屋でその次に高いのが、液晶モニターだったりする。
こんな外見だから、今まで同人イベントで売り子なんかしたことがない。
ついでに中学のアニメ研会誌以来、同人誌なんかの類にゃ原稿を描いたこともない。
あったとしても、全部、新之丞の手伝いだ。
新之丞は腕はあるのにもったいないとか言っているが、正直なところ、絵と姿のギャップで噂になるのが嫌だったりするわけだ。
俺のことはともかくとして、作業の進捗状況はというと、ゲームの立ち絵は昨日、全部なんとか終わらせた。
ベタっとしたアニメ塗りで手抜きなんだけど、枚数が多いんだからしょうがない。
イベント絵は、ひたすら削って削りまくった。
イベント絵は最低百五十枚は絶対に譲れないなんて言ったメインシナリオ担当の……なんつったっけ?
うん。そいつを軽く殴り飛ばして(軽くのつもりだったけど、歯が折れたらしい)、四分の一以下に削らせた。
背景も、さっと描いたのをスキャナーで取り込んで、モノトーン加工をして済ませた。
サークルの奴が、もうちょっと雰囲気を出してとかほざいていたが、こっちはほとんど寝ずにやってんだ。
言うくらいなら手伝いやがれ。背景は、お袋のアシスタントさんまで手伝ってくれたんだぞ。
贅沢ぬかすなとばかりに、二、三発殴ってやった。
本当は自分でも、もうちょっと手間かけたいという気持ちはあったんだけど、
イベント絵を大量に残しているのにそこまでやっていられない。
システムも今からオリジナルシステムを作りたいとバカなこと言っていたのを既存のスクリプトノベルシステムにさせ、
BGM はフルオーケストラで壮大な交響曲が いい! という寝言を押さえつけ、今回はとりあえず音楽は保留。
効果音のサンプリング CD なんかから適当にチョイスして、最低限の効果音だけはなんとかつけた。
ストーリーは壮大な一大サーガにするんだと息巻いていたのを、ありがちなファンタジー物にスケールダウン。
ってか、どうしてシナリオが五人もいるんだ? 教えてくれ。
統括シナリオと総合シナリオってどう違うんだ。わけがわからない。
メインをやると言っていたバカはやたらスケールだけは大きい構想と、
それとは対照的なネタメモ程度以上のシナリオしか提示できなかったので、
残りの四人の中から一番話を書き進めている奴に合わせてシナリオを組み直させた。
残りのスタッフは全員、スクリプト書きとデバッグ用員。メンバーだけは十人近くいるからな。
原画をスキャニングしただけの仮の絵を入れて、なんとかゲームの形に仕立て上げ、
現在もシナリオ書きとスクリプト組み、俺のペイントと同時進行中だ。
ところがさっき電話したら、三日前に発売されたエロゲーに夢中になっていて
全然シナリオ執筆が進んでいないと知って激怒したばかりだったりする。
しかもこの期に及んで声優さんに声をつけて欲しいとか寝言を言っていたので、きっと目を開けながら眠っているんだろう。
器用なやつらだ。眠っていて何もしないんなら、今すぐ死ね! いや、シナリオを一秒でも早く書き上げてから死ね。
……なんか俺、制作指揮と進行管理までやってないか?
こういうわけで、死の行進曲(デスマーチ)進行中。
俺が死ぬ日まで、あと何日?
正直、ここまで他人のためにやってやる必要なんか無いんだよな。
なぜだ? って、そりゃ新之丞に頭下げられて引き受けたからには、もう、やるしかねぇんだよな……。
なんかこう、できの悪い弟の面倒を見てやる兄貴の気分ってやつか?
本当は新之丞の方がほんの少しだけ年上なんだけど。
思えば俺は昔っから、新之丞の尻拭いとかやってたんだよなあ。
ほいほい安請け合いする奴の手伝いをしながら、俺の腕も磨かれてきたわけだったりする。
でも、今回はどう考えたって不可能だ。
残りは約二週間。
三十日まで食事もとらず休まずに寝ずにひたすら作業をしたって、絶対に終わらない。
大体、シナリオが現段階で最初の第一章すら完成していないというのが間違っている。
イベント絵が先にあるということ自体がそもそもの間違いなんだが。
不可能だとわかっているのに、止められない自分の性分が悲しい。
「あああっ、人間辞めてぇぇっ!」
「……その願い、かなえてあげようか?」
誰も居ないはずの背後から声が聞こえてきたので、俺は驚いて椅子を回転させてそっちの方を見た。
エロゲの姉ちゃんがそこに立っていた。
「はぁ〜い♪」
どうやら、いつの間にか眠ってしまっているらしい。
だってよ。露出度満点の黒皮のボンデージスーツを着た金髪姉ちゃんが、俺の部屋にいるわけないだろ?
「苦労しているみたいね」
「おとなしく眠らせてくれ。夢の中までこういうのは、勘弁して……欲しい、な」
ああ、体が水を吸った布のように重い。
まぶたが閉じられ、頭がかっくんと横に倒れた。
「それ、より、早く起き……て、作業、しない……と……」
「なんで?」
「なん……でって、そりゃ……」
闇の向こうから声がするが、何を言っているのか、既に俺の意識はとらえられなくなっていた。
俺の意識は、沈んでゆく。
深く、深く……どこまでも、どこまでも。
***
「……っ!」
目が覚めた。
あたしは全身にびっしょりとかいている汗に顔をしかめて、Tシャツをつまんだ。
肌にぴったりとついたシャツは、ブラの線までくっきりと浮き出てしまっている。
「うわー、嫌ぁな夢見たなあ」
本当は眠気醒ましも兼ねてシャワーでも浴びたいとこだけど、たぶん、シャワー室で寝てしまうと思う。
おとといも、チーフアシスタントの苑山(そのやま)さんに起こされるまで、湯船の中で大股おっぴろげて、がぁがぁ寝てた。
二十四時間風呂でなけりゃ、湯冷めして風邪をひいていたかな。
「真琴ちゃんは女の子なんだから、もっと恥じらいをもたなきゃ」
なんて苑山さんは言うけれど、放っておいてほしい。お母さんだって、締め切り間際はそりゃもうすっごいんだから。
だけど服だけは替えたい。汗でべとべとだし、正直、臭い。
お風呂に入ってからずっと着替えてないから、今日で三日目だっけ? うえぇ、そう思うとよけい臭く感じる。
あたしは椅子から立ち上がって、ふらふらとクローゼットの方に歩いてゆく。
お母さんの部屋にはウォークインクローゼットなんてもんがあって、そりゃもう物凄い数の服やアクセがあるんだけど、
あたしはちっちゃいクローゼットで十分だ。
なぜって……そりゃあ……どうしてだろ?
何か引っ掛かるものを感じながら、あたしはシャツを脱いでブラも外し、服を漁り始める。
なんかスウェットも、別にオナニーしてたわけでもないのに湿っぽい。
下も脱いで、あたしは色気もなんにも無いベージュのパンツ一枚の姿で服を漁り続けた。
ああ、なんかこうして服の中に埋もれていると眠気が襲ってきて……このまま眠ってしまいたい。
がちゃっ!
「うぉーい、『誠』、頑張ってるか〜」
扉が開いた。
新之丞だった。
「え?」
「えっ?」
あたしと新之丞は、同時に言った。
「……で、出てけ、新之丞っ!!」
手近にあったぬいぐるみなんかをぽんぽんと投げつけながらも、あたしは頭の中で、さらに膨らむ違和感に悩まされていた。
「ちょっと待ってくれ! 誠はどこへ行ったんだ? 君は誰あ痛っ!」
百科事典の角が額を直撃したらしい。これは痛い。でも、自業自得だ。
「真琴だったらここにいるでしょ、このスケベ大王がっ!」
「だから、『誠』はどこにいるんだって訊いているんだってば!」
ぱりん……。
あたしの頭の中で、何かが砕けた。
違う。いや、そうだ。
あたしはあたしなんかじゃなくって……そう、『俺』だ。
「……え?」
俺って? あたしは『誠』で……いや、発音は同じだけど似て非なる人物だ。俺は『真琴』であって『誠』でもあった。
同一人物であり、別人でもあり……矛盾しながらも奇妙に整合性のある記憶が一気に頭の中に溢れ出る。
「新之丞……?」
「えぅぇ〜? オラになんのようだぁ〜あ?」
あの幼稚園児の真似をする新之丞の声を聞いて、正気が戻った。
俺は黙って床に転がっていた硬式のテニスボール(『真琴』が以前やっていたスポーツだ)をつかみ、
軽くスナップを効かせてくねくねと気持ちの悪い踊りを踊っている奴めがけてブン投げた。
「おぐっ!」
見事顔面、鼻っ柱に命中。
「やべ、鼻血出てきた……」
「勝手に部屋に入ってくるからだ、ど阿呆ぅ!」
「……お前、本当に『誠』だな」
新之丞の微妙な言葉が、俺にはわかる。
「お前、俺が『誠』だってわかるのか? 男の」
「わかる。俺も今、混乱しているけどな。男の『誠』と女の『真琴』の記憶が両方あってさ」
俺がティッシュの箱を放り投げてやると器用に受け止め、紙を鼻に詰め始めた。幸い、出血はそんなに酷くないようだ。
「そうか……よかった」
息を吐いた拍子に、自分がパンツ一枚の裸だったことを思い出した。
新之丞が目を逸らしながら言った。
「とりあえず、服は着た方がいいと思うな」
「……だな」
さっきまで感じていた羞恥心は、どっかにすっ飛んでしまっていた。
***
俺は謎の女性……というかメイアと名乗る悪魔との会話を思い出しながら、ぽつぽつと語り始めた。
話していくうちに、少しずつ聞こえていないと思っていた言葉が、意識の端から少しずつ出てきた。
「悪魔ってのは魂を代価にする契約というのをするんじゃないのか?」
「俺もそれは不思議に思ってた」
新しいトレーナーの上下を着て、階下からコーヒーを大きなマグカップに入れて持ってくる。
いつでも飲めるようにセッティングしてあるのは、もちろんお袋達のためだ。
他にも紅茶やココア、緑茶、烏龍茶、冷蔵庫に入ったソフトドリンクが飲み放題で、
近所のパン屋さんから毎日届けられる菓子パンや惣菜パンも横に置いてある。
時々その横で、食いかけのパンを片手に居眠りをしているお袋やアシさんの姿を見ることがある。
マンガ家ってのはヘビーな仕事だ。俺にはとても真似できない。
「だけどあの悪魔は、ちょっと違うみたいだったな。なんというか、かって気ままに生きているみたいな感じだった」
コーヒーで舌を少しずつ熱くさせながら、俺はマグカップを両手で包む。じーんとコーヒーの熱が手に染みこんでゆく。
新之丞は口を開かない。
「自分が楽しみたいから、俺を女にするんだって言ってた。
悪魔は時間が余りまくって、退屈で死にそうだから……でも死ねないから、人間を相手にして遊ぶ。
あいつはそう言っていた」
「ふーん」
「なんだ。ずいぶんな態度じゃないか」
「だってよ? 悪魔というのはあまりにも非現実過ぎるというか……」
「俺が女になっちまったのに? こんなことが起きても、悪魔は信じられないと?」
「一本取られたな」
新之丞が笑った。どうにもこいつは真剣みがなくて腹が立つことがある。
それが原因で何度もケンカをしたが、いつの間にか元通りになっていた。
本当に、血の繋がった兄弟みたいな関係なんだなと思う。もちろん、俺が兄貴だ。
実際には新之丞の方が三か月ほど先に産まれているんだけどな。
「さっき、お袋にも訊いてみた。やっぱり俺は最初から女として産まれてきたことになっている。
部屋の内装や家具なんかも変わっているな。服ももちろん、女物になってる」
「ということは下着もか? ちょっと見せろ」
「いい加減にしろ!」
手に持ったマグカップの中身をブッかけようと思ったが、さすがに気の毒なのでぐっとがまんし、
身を乗り出してテーブル越しにチョップを奴の頭にかました。
「む。痛くない」
手が痺れる。こっちの方が痛くてどうする。まったく、ひ弱すぎるぞ、この体は。
体重なんて半分も無いんじゃないか? 身長もがくんと落ちて、百六十センチあるかないか。
百七十二センチの新之丞より小さいというのは、正直言ってかなりショックだ。
そのくせに胸と尻だけはでかいんだから。
「それはともかく、俺が昔から女だったってことになっているみたいだ。
皆で俺を騙そうってしているわけでもなさそうだしな。それに、俺の記憶も誠と真琴……つまり、男と女の両方の記憶がある」
俺が座り直して指でこめかみのあたりをトントンと叩いてみせる。
「俺がこんな体で混乱しないでいられるのは、女の――『真琴』の記憶があるからだ。
でも何か、他人の記憶みたいな気がするんだよな。断片的な割には、妙にはっきり覚えていたりするし」
「すると、クラスメートの裸とかはどうなんだ? 着替えの時の記憶とか」
「知るか!」
もちろん、記憶の中の真琴は女だったから着替えも女子と一緒だったんだろうけど、
残念ながらそのあたりの記憶はまったく無い。
「それより新之丞、お前はどうなんだ。俺が女だと知っても、あまり驚かなかっただろ。
やっぱりお前の記憶も変わっているのか?」
「うーん……実は、はっきりしない。
真琴って幼なじみの女がいるという状況は素直に受け入れられるんだけど、昔の記憶は無い」
「わけわかんないな……。そっちの叔父さんとかはどうなんだろう」
「さあ、な。今追い込みの時期だし、そういうことを持ち出せる雰囲気じゃないから」
さすがに週刊連載を持っていると忙しさが違うな。俺のお袋は月刊連載と季刊連載だから、まだ余裕があるけど。
「ただ、まこちゃんによろしくとか、まこちゃんを押し倒すなよとかうちの人に言われたから、
やっぱりみんな、女だって思っているんだろうな。その時はなんで男を押し倒すんだよとか思ったけど」
「そうかぁ……さすがは悪魔の仕事というか、でたらめに影響が及ぶ範囲が広いな」
「ここまで変わっていると、なんか、俺達の方が変なんじゃないかって気がするよな」
「怖い事を言うなよ」
俺は体を震わせた。
まったく、とてつもなく嫌な気分だ。
さすがは悪魔のやることと言うべきだろうか。一夜どころか、ほんの居眠りをしているうちに
、俺にとっての総ての世界ががらりと変わってしまったのだ。
誰が今の俺の言うことを信じてくれるだろう? 新之丞が俺のことを憶えていてくれて、本当に良かった。
もし誰も俺のことを……男である『誠』を憶えていなかったら、俺が正気でいられたかどうかはわからない。
「いやー、でも誠。お前、こっちの方が絶対にいいぞ。可愛いし、胸もでかいし」
新之丞は俺の思いを余所に、気楽に言い放ちやがった。
「ふざけるな。俺をどういう目で見ているんだ? お前は」
「可愛い子を見る目で」
瞬間、なぜか心がざわっと蠢いた。
何だ? 今の感覚は。
「そ……そういう軽口ばっかり言っているから、女に振られまくってるんだよ」
俺は立ち上がって、フローリングにクッションを引いた上にあぐらをかいている新之丞の頭を、平手でぺしっと叩いた。
とにかく、少しでも多く絵を仕上げないといけない。
こんなもの放り出せばいいのだが、一度引き受けた仕事は最後までやるというのが俺の信条だ。
これはお袋から骨の髄まで叩き込まれた、言わば俺の第二の本能のようなものだった。
「新之丞、手伝ってちょうだ……手伝え。お前が安請け合いしたんだから、少しでも穴埋めしやがれ、こん畜生」
俺は予備の21インチモニターを部屋の隅から引きずり出す。
くそ、なんて重いんだ。確か、三十キロはあったはず。男の俺ならこんなに苦労することも無いのに。
新之丞に手伝ってもらいながら、何とかテーブルの上に置いた。そしてゲーム用のマシンに接続する。
低いテーブルなので、新之丞には床に座って作業してもらうことにする。
「お前には下絵のクリンナップをしてもらうからな。俺は塗りに専念する。さすがに何もかも一人でやるのはきつ過ぎる」
「だったら、電福屋(でんぷくや)の奴等にやらせたらどうなんだよ」
この電福屋ってのが、新之丞が入った同人サークルの名前だ。
本当はもっと長い、正式な名前があるらしいのだが、俺にとってはどうでもいいので憶えていない。
「あいつらに手伝わせたから、ここまでこじれてんだよ……」
喉に詰まった悪口雑言を押し戻そうとして唾を呑み込む。
まったく、こいつはどこまで天然なんだ? 俺がどれだけ苦労して尻拭いしてやってるのか、知らないのか。
いや、知らないんだろうなあ。こいつ、昔からそうだったし。
「面倒……なのもたまにはいいか」
面倒くさいと言いかけたが、俺の鋭い目つきを見て意見を変えたらしい。
この体でなきゃ、脇に挟みこんでヘッドロックをかけてやったところだ。
でもこの体でやったら、かえって喜びかねないからな、こいつの場合。
「一応、パソの使い方は知ってんだろ?」
「まあな。ワープロとメールくらいならやってるし」
新之丞がパソコンが使えないったって、まったくできないわけじゃない。
ソフトの使い方をおぼえようとしないだけで、ラフ原画を取り込んだ画像のクリーンナップくらいはできるはずだ。
男の『俺』が前に少し教えたことがある。
「このペイントソフトの使い方は前に教えたよな?」
俺と新之丞の記憶がここで異なっていないことを心の中で祈りつつ訊いてみる。
「ああ、いちおう」
「いちおうってのが不安だけど……えーっと、これ」
俺はショートカットをクリックしてソフトを立ち上げる。
ソフトはライセンスの都合もあって、別の物を用意してある。
それに、俺が普段使っているソフトだと機能が豊富すぎて、新之丞には何がなんだかわからないだろう。
俺は座っている新之丞の背中に体を押しつけ、奴の手を取ってツールのウィンドゥを開いた。
「わかる?」
「誠がノーブラだということなら」
「……!」
反射的に体を引いて、あたしは胸を押さえる。顔がぼっと燃え上がったように熱い。
「ば、ばっ、バカ新之丞! なにそんなエッチなこと言ってんのよぉっ!」
『あたし』?
俺は立ち上がって、新之丞の背中に軽く蹴りを入れた。
「痛ぇ!」
「誰がノーブラだ。ちゃんとブラジャーくらいしているっ!」
「いやー。それにしてはフカフカで気持ちよかったぞ? もうちょっとくっついていて欲しかったな」
ぬけぬけと言いやがった。
「サイズはいくつだ?」
「さあね」
ふっと数字が頭に浮かんだけど、もちろん教えてなんかあげない。
「察するに、Eカップとみたね。85センチの」
「バカ。ブラのサイズはトップじゃなくて、アンダーとカップなんだよ。それくらい常識でしょ。
それにセクハラ発言だよ、それ」
言ってから、『真琴』になりかけていたのに気付いて驚く。
うーん、気をつけてないと体が女だけに、心まで女に染まってしまいそうだ。なんかちょっと怖いぞ。
俺は照れ隠しに、こう言った。
「とりあえずトイレに行ってくらぁ」
「おう、行ってこい。俺はこっちの方に慣れておくから」
新之丞はタブレットのペンをかざして見せる。
トイレに行きたいってのは嘘じゃない。これも女だからなのか、なんか妙に冷えて、尿意がする。
トイレが近いってのは、こういうことなんだろうな。そういえばお袋はこの季節、暖房がしてあっても膝掛け毛布を手放さない。
「筆圧感知だから、線の強弱も出るぞ。ただ、あまり力を入れるなよ?
それとレイヤーを上にかぶせておいたから、下絵の上からペン入れする感覚で描けばいいぞ」
「よくわからない単語もあるけど、そのうち思い出すだろ」
新之丞は画面を見ながら、さっさと手を滑らせて言った。以前にもやらせたことがあるから、たぶん大丈夫だろう。
俺は画面に身を乗り出すようにしてタブレットを操っている新之丞を横目に見ながら、トイレへと向かった。
***
嫌な気分だ。胃のあたりに鉛が詰まっているようだ。
「おう、どうした」
新之丞は俺の表情を見て声をかけてきた。
「なんだ、生理が始まったのか?」
俺は黙って手元にあったぬいぐるみを奴に向かってブン投げた。
「てめーはどうしてこう、デリカシーが無いんだ!」
「だって、深刻な顔をしていたからさ。それとも……生理が来ないから心配してるとか?」
さすがにこれには手を出す気力も出ない。
なにしろ、トイレに入れば否応なく男と女の違いを思い知らされるということを、俺はすっかり忘れていた。
便器の前に立って股間をまさぐった時の気まずさ。座って用をたす時の、排尿時の違和感。
そして、そのまま下着をはいてしまった時の、あの何とも言えない居心地の悪さ。
慌てて拭いたけど、やはり少し下着が濡れてしまっていた。だが、替えの下着は新之丞のいる部屋にある。
仕方なく部屋に戻ってから、買い置きの下着が下にあったことを思い出した。
お袋のアシスタントは圧倒的に女性が多いので、予備の服や下着がいつも準備されていたりするのだ。
どうしようかと迷ったけれど、新之丞の相手をしていたら出る機を逸してしまった。
仕方がない。夜になれば夕食を食べる前に、ついでにシャワーを浴びることもできる。それまでがまんしよう。
「ん……?」
椅子に座ろうとした俺の耳に、何かの音が聞こえた。シャカシャカと小さな音だが、確かに部屋の中で音がしている。
「何だろう、この音……」
新之丞を見ると、一瞬顔をこわばらせたのが見て取れた。まさか、こいつ……。
俺がパソコンの方を見ると、オーディオ端子にヘッドホンが接続されていた。
マウスを新之丞から奪い取り、タスクバーに格納してあったソフトの画面を元に戻す。
ゲームの画面が現れた。「ぷに萌えらびぃ・えくすとり〜むっ♪」という、シリーズ物ソフトの最新、第八作目だ。
獣っ娘(こ)やぷにぷにのロリっ娘がたくさん出てくるので根強い人気があるシリーズだ。
いや、これは資料だぞ? 流行の絵ってのも押さえておかなきゃいけないし。
エロゲの箱が壁収納の中に山積みになってるのも、全部、資料なんだぞ。
なんか、言い訳するたびにドツボにはまっていきそうだな。
「いやー、このエロゲ、俺前からやってみたかったんだよね」
俺は我に返って、拳を握り締めた。
「でも誠、 お前ってロリ好みだったんだなー。
そういえば前に付き合ってた此実(このみ)ちゃんもちっちゃくって、ロリっぽかったよな。どうして別れたんだ?」
あ、いかん。理性が押さえきれない。
ぶちぶちぶちちっ!
精神の糸がまとめて千切れた。
こ奴……殺す。
絶対殺す! 何がなんでも、ブチ殺す!!
俺は飛び上がって、全体重をこめて新之丞にキックをかました。
「ぐぎゃあっ」!
背中に当たったので大して効いちゃいないだろう。床に転がった新之丞に、足でドスドスとストンピングをかます。
「あう! ぎゃうっ! ぐはっ! がふぁっ! ごあっ! げばっ!」
十数発も腹を踏みつけると、ようやく俺の正気が戻ってきた。
「大丈夫か、新之丞」
「お前、なんか狂暴だぞ。前はそんなことなかっただろ」
「え?」
俺は、はっとした。
確かにそうだ。俺は新之丞に嫌味を言うことはあっても、手を出すことなんかまずなかった。
そりゃあ小さな子供の頃はしょっちゅうつかみあいのケンカをしたもんだが、
中学生になる頃からは、手を出しという記憶がほとんど無い。
どういうことだろう。俺が、『真琴』の心に侵食されているからだろうか。不安がわき上がってくる。
「いや、こんなことはどうでもいい。
新之丞も気分転換くらいならいいけど、手伝いに来たんだから少しは真面目にやってくれよ」
「どうでもいいかよ……。それに、手伝いに来たわけじゃないんだけ……ど、いや、すまん。手伝わせていただきます」
「わかっているなら、よろしい」
俺はにっこり笑って握った拳を開き、席に戻る。
新之丞の相手をしているうちに、思わぬ時間を使ってしまった。これからきりきりと挽回しなければならない。
画面に向かっているうちに俺は、自分が女になってしまったということを束の間、忘れさることができた。
――そのはずだった。
***
こうして、半日が過ぎた。
新之丞は自分の家に食事と睡眠をとりに行き、俺は夕食代わりのカップラーメンとパンを食べて風呂場に向かった。
とてもじゃないが料理をする元気などなかったからだ。
疲れが垢になって体の表面にこびりついているようだ。
俺は脱衣所に、ふらふらになりながら入る。
どうせ女性しかいないという気楽さもあって、気が付いたら脱衣所の前でトレーナーは上下とも脱いでいたし、
下着代わりのTシャツも脱いでいた。今は、ブラとパンツだけだ。
なんか俺、いつの間にかすっかり女に馴染んじまってるな。
眠気は最高潮で、湯船になんか浸かったらそのままぐっすり寝てしまいそうだ。体はまるでクラゲのよう。
ぐんにゃり、ぐにゃぐにゃ、骨も身もぐでんぐでん。もしかしたら、お湯に溶けてしまうかもしれない。
やばいから、シャワーだけにしておこう。
前のめりになりつつ、のったりとドアを開けた、その時。
「あー、真琴ちゃん。大丈夫?」
「え?」
俺が顔を上げるとそこには、背景アシスタントの陽子さんがすっぽんぽんでドライヤーを使っていた。
「あ……あっ、あの、ご、ごめん! 俺、陽子さんが入っていたなんて気が付かなくて」
正直言うと、彼女をオカズにして抜いたことが何度もある。もちろん、男の俺がだ。
年も二十一歳と俺より一歳年上なだけだし、とにかく小顔で愛らしい人だ。俺の好みのタイプである。
しかし反対に彼女は、大男で圧力感のある俺を避けていた節がある。
「先生の息子さん」だから露骨に嫌な顔をしたことはないが、俺は彼女の好みではなかったのは確かだ。
思わず唾を飲み込んだ。
いつもはツインテールにしている髪の毛は下ろされ、控え目ながらもちゃんと存在感のある形のよい胸は、
腕を動かす度にぷるんぷるん震える。
くり返し言っておくが、俺はロリが好きなんじゃないぞ。
「あら、真琴ちゃん。ごめんなさい、すぐ退くわね」
陽子さんは悲鳴も上げず、俺の姿をじっと見つめている。
ああ、そうか。今の『俺』は女だったんだ。だけど、陽子さんの視線は俺から外れない。
なんか凝視されているんだけど、どうしてだろう。
「な……何か?」
「真琴ちゃんって、本当におっぱい大きいわね〜」
「っ!」
顔が真っ赤になるのがわかった。なんか、気を抜くとすぐにこうなってしまうのが情けない。
体が女だからなのか、情緒不安定というか感情の起伏がとても激しく、自分でもうまくコントロールできない。
陽子さんがすっとそばによってきて俺の胸……と股間に手をやって、ゆっくりと指を動かす。
もう、頭は大パニック。何が起こっているんだかさっぱりわからなくて、体が硬直してしまっている。
「こんなに大きくて柔らかいのに、ほとんど型崩れしてないのね。どうして?」
って言われたって俺にはそんなこと、わかるはずがない。
「あ、あぅ……」
陽子さんが俺の体に顔寄せて、すんすん、と鼻を鳴らす。
「真琴ちゃんのきつい匂いがするわ……いい匂い。ほんと、ゾクゾクしちゃう」
「あ、やぁっ!」
汗臭い『あたし』の体の匂いを嗅がれている……。
あそこを弄られるよりも、ずっと恥かしい。
「あら、しばらくお風呂入ってなかったの? だったらここも……」
股間の敏感な部分を指でくすぐられる。
「ひゃあっ!」
「本当に敏感……もう、ぬるぬるよ?」
ライトの光を照り返すぬめった指を自分の鼻先に持っていった陽子さんは、うっとりとした顔で指の匂いを嗅ぐ。
「あ、はっ……チーズみたいないい匂い。真琴ちゃんのって、本当に美味しそうだわ」
まさか陽子さんって……その道の人だったんですかっ!?
言葉も出ない。
この状況がどれだけヤバイかわかっているのに、脚が痺れて動けない。
「あ……とっても、おいしい……」
な、舐めちゃった……どうしよう。
まるでフェラでもするように、舌を出して自分の指を舐める陽子さん。
これで指にインクの汚れが無ければ、もっと絵になったんだろうけれど。
「すっごく濃くて、舌が痺れちゃった。直接舐めたら、もっと美味しいかも」
そう言うと陽子さんはしゃがんで、あたしの股間に顔を近づけて行く。
お尻の方に手を回して、するっとパンツを下ろしてしまった。
「ああ……いい匂い。真琴ちゃんの匂いを嗅ぐと、たまらなくなっちゃいそう♪」
「やあっ! ……あっ、だ、ダメで……ダメです……」
「そう? その割にはここ、ほぅら」
陽子さんが股間を指でつぅっと撫でた。
「ひうっ!」
凄い。びりびりっときた。
「ほら、こんなにとろっとろ♪ 白いおつゆが出てるわよ?」
「いや……だめぇ……」
「そんなこと言って。腰が動いてるわ」
「だって……」
何か……すっごく、気持ちがいい。
陽子さんの顔があたしのあそこに近づき、そして。
「んっ……!」
中に、入って……くる! なんて、きも、ち……いい……よすぎる。
脚ががくがくしちゃって、陽子さんの頭、押さえて、それでやっと立ってられる。
中だけじゃなくて、ラヴィアの内側をつぅっとなぞるように舐められたり、
クリトリスの周りを焦らすようにくるくると舐め回されたり、舌
全体で膨らんだ股間をざらっと舐められたり、つつかれたり……。
自分でも、すごく濡れてるのがわかる。
「は、恥ずかしっ……」
「そう? とっても可愛いわよ、真琴ちゃん」
陽子さんが顔を上げて言う。わあ、顔にべったりついているのって……やっぱり、あたしの、アレだよね。
陽子さんは顔を拭きもせずに、あたしの太腿をぺろっと舐めた。
「ふぁぁっ!」
ゾクゾクっときた。
これでついにあたしの腰が砕けてしまった。ぺたっと床にへたりこみ、陽子さんと額を突き合わせる。
顔が離れ、傾いて、そして唇が近づいてくる。
……あ、だめ。
「んっ……」
やわらかい唇。舌を絡めてくる。おずおずと差し出したあたしの舌を、陽子さんが吸い上げる。
気持ちいい……。あたしは手を陽子さんの肩の後にまわして、体をくっつける。胸と胸がくっついて、ぷぬっと潰れる。
温かい。やわらかい。
あたしは陽子さんの舌を吸う。舌を絡め合わせる。まるで舌でセックスをしているような気分……。
たっぷりとキスをして、あたしは夢心地だ。
ブラが外される。恥かしい。でも、窮屈な場所から解放されるのは気持ちがいい。顔が近付く。
「あ、ああっ……いやぁ……」
ゆっくりと、ゆっくりと胸が揉まれる。乳首が吸われる。
くすぐったい感覚が、徐々に痺れるような、そして蕩ける気持ち良さへと変わってゆく。
上半身が膨らむような、初めての、ふしぎな感覚。
陽子さんの手が、あたしの脚の間に伸びる。あたしは脚を広げて、陽子さんの手を迎え入れる。
指が入ってくる。くんっ! と上に曲げられた指が、あたしのキモチイイ場所を捉えた。
体がのけぞりそうになるのを、陽子さんは許してくれない。
あたしを壁に押し付けて、口と手で、くにゅくにゅとあたしを攻め続ける。
指が、舌が、唇が、あたしの体を這いまわる。撫で回す。舐め回す。
「あはぁぁぁっ……」
「真琴ちゃん、すごく可愛いわよ♪」
腕を触られるのが、こんなに気持ちがいいなんて知らなかった。ううん、腕だけじゃない。
今はどこを触られてもたまらなく、いい。全身が射精直前のペニスになってしまったような、いや、それ以上の快感だった。
陽子さんが顔を上げて言った。
「ねえ? 真琴ちゃんって、バージンかしら」
「ぁい、は……」
「そうなんだ。もしかして、しんちゃんに初めてをあげるつもりなの?」
え?
「い、いや! そんなことないですっ!」
新之丞の名前を聞いて、『俺』は正気に戻った。
よろよろと陽子さんから離れて、慌てて手近にあったバスタオルを引きずりよせ、体に巻く。
気が付けばすっぽんぽんだ。いつの間に脱がされちゃったんだろう?
胸元まで自分と陽子さんの涎でべっとり。乳首までぬるぬるだ。乳首がバスタオルの布地に擦れて疼く。
少し動くだけで、またイッてしまいそうだ。
なんだろう。この体を包む、疲労でも倦怠感でもない変な感じは……。
「ねえ、真琴ちゃん。このこと、先生に言う?」
陽子さんが訊いてきた。
お袋に言えば、陽子さんはここを辞めさせられるだろう。
迷った。
「わからない……」
「どうして?」
「なんでかな。あたし、陽子さんが好きだから……かな」
「ふぅん……」
陽子さんは微笑んで言った。
「そうね。もし真琴ちゃんが男の子だったら、私、真琴ちゃんが好きになっていたかもしれないわ」
「えっ?」
ちょっと胸がどきっとした。
「なんか真琴ちゃん、変わったって気がする。いつもはぼーっとしてるみたいだったけど、今日はなんか男の子っぽいのよね。
『俺』って言ったり。なんかそんなところが、可愛くってさ」
別の意味で、また胸がどきっとした。俺、そんなこと言ったっけ? 頭がパニクってて、全然憶えていない。
「あーあ。でも、せっかくシャワー浴びたのに汗まみれになっちゃった」
陽子さんは悪戯っぽい口調で俺に向かって言った。
「一緒にシャワー浴びる?」
「う……うん」
おもわず、うなずいていた。
俺にだってスケベ心はある。陽子さんと一緒にシャワーを浴びる機会なんて、これを逃したら恐らく二度と無いだろう。
「真琴ちゃん、意外とエッチなんだね。目がにやにやしてるよ?」
「ええっ!?」
しまった、顔に出てたか。
「ま、いっか。私も真琴ちゃんのエッチなとこ、いっぱい見ちゃったし♪」
「わっ! そ、それは言わないで……」
自分でもたちまち顔が真っ赤になるのがわかった。
俺が陽子さんと一緒に風呂を出たのは、それから三十分後のことだった。
これで俺も共犯者……だな。
***
こうして俺と新之丞の修羅場が始まった。
別に男女関係のとかではなく(いや、今は本当に男と女なんだけど)、締め切り間際の瀬戸際の闘いだ。
いつもはのほほんとしている新之丞も、さすがにマンガ家の息子。アシスタントもしているだけに真剣な表情だ。
作業ができる環境が俺の家にしかないということもあって、新之丞は俺の家に泊まりこみのような形になっている。
さすがに仮眠とか入浴は自分の家でしているみたいだ。
別にうちで寝ていけばいいだろうと言ったんだけど、アシさんも女性が多いし、
真琴の部屋で寝るわけにもいかないからと、妙に他人行儀だった。
「ほら、俺は真琴が男だって認識だけど、うちの先生とか真琴の先生はそうは思わないだろ? とくにそっちのお父さん」
「んん……そうかもしれない」
新之丞は父親のことを先生と呼び、俺のお袋も先生と呼ぶ。小さい時からの癖だ。
しかし、いつの間にか『真琴』で通っちまってるな。
微妙なニュアンスの違いがわかる自分が、ちょっと嫌だ。鬱入っている余裕なんか無いけど、あとできっとそうなる。
俺自身は男だという意識はまだしっかり残っているし、この状況が一時的なものだと考えているけれど、
周りは俺が産まれた時から女だったという認識でいる。
特にうちの親父は、男だった俺にはあまり干渉してこなかったけど、女の俺にはベタ甘だったりする。
新之丞が俺の部屋に入り浸りになっている状態を一番快く思っていないのは、この、父だったりする。
さすがに俺の部屋にまで入り込んでは来ないが、新之丞と決して顔を合わせようとしないし、
偶然出会って挨拶しても、ぷいっと横を向いて無視するような状態だ。まったく、子供っぽいというか……。
現在、お袋達の仕事は年末の最も忙しい修羅場に入っている。
23日までに総ての仕事をあげなければならないんだけど、半年前から入っている週刊誌連載と、レギュラーの月刊連載、
その他増刊や単行本向けの修正作業などで猫の手も借りたいという忙しさだから、
臨時のアシスタントまで雇って泊まり込みの作業を続けている。
応援のアシさんは、全員が女性だ。延べ人数だと二十人近い人が出入りしている。
ちなみにチーフアシスタントの苑山さんはアシスタント専門で、お袋の専属だったりする。
実は俺の初恋の人で、かなりの美人だ。こんな体になってからシャワールームで何度かばったり顔を合わせたりしたけど、
そのたびに俺は部屋に逃げ帰っている。やっぱり、今でも憧れの人なんだよな……もう三十越えているんだけど。
新之丞と作業をやっている時にも、よく差し入れを持ってきてくれてるんだ。
年末進行なもんだから、常時、レギュラーも含めた十名近いアシスタントが
仮眠所やシャワールームを占拠したり家の中をうろうろしているんで、新之丞としても肩身が狭いんだろう。
こっちとしても、アシさんと新之丞がばったり顔を合わすのは、あまり好ましくない。
ん? なんだろう、この胸の中のもやもやとした感じは……。
俺はその気持ちをごまかすように、新之丞に向かって言った。
「おばさんは何て言ってるんだ……いや、今は旅行中だったっけ。どこに行っているんだ?」
「んー、あの人? 確か今は、香港だったかな。年が明けるまで戻ってこないみたいだよ。
さすがに旧正月までには戻ってくるみたいだけど。旧正月は台湾に行くって言ってたし」
「あの人ってなぁ……自分のお袋さんだろ」
「いーのいーの。お互い、好きにやってんだから」
過度に干渉しないというのが左牧家の方針なのはわかっているけど、
ここまでくるとさすがに放任にもほどがあるという気がする。
俺は新之丞に何かを言おうとしたが、いい言葉も浮かばなかったので、作業に戻った。
だが、作業の進捗度に支障が出始めていた。
新之丞に教えるという手間はあったものの、タブレットとグラフィックソフトに慣れると手もかからなくなり、
俺はペイント作業に力を注げるようになった。だから、新之丞が悪いというわけじゃない。
実は陽子さんに襲われかかってから(未遂どころじゃないけれど)、どうも調子がおかしい。
体の方は絶好調と言っていいくらいだ。この分なら、しばらくは無理がききそうだ。
おかしいというのは、違和感がほとんど無くなっているということだ。
あの目が覚めた日、女として意識していた時から男の意識へと切り替わった瞬間から、俺はずっと妙な感覚に悩まされていた。
靴の上から足の裏を掻くというか、二人羽織でラーメンを食っているというか、
リモコンで自分で自分を操っているというか……とにかく、自分の体でありながらそうではない、
という感覚がどうしても抜けなかった。
それが陽子さんに女の子の感覚をたっぷりと味わされてから、おろしたての靴が履き慣れた物へと変わるように、
すうっと馴染んだ。でもその違和感の消失と共に、俺の心にしこりのような物が生じた。
胃の底に重りでもあるような感じだ。
こんな異常な……まず絶対に起こりそうも無い男から女への変化にもかかわらず、馴染んでしまったことへの不安と不審。
これは悪魔と名乗る存在が関わっているからなのかもしれないが、だからと言って納得できるわけじゃない。
どうも俺は、あの悪魔とかなり話をしていたような気もするのだ。
なのに、会話をまったく思い出せないということに、苛立ちを感じる。
俺が自分の変化に戸惑っているのとは正反対に、新之丞はいつもとまるで変わりが無かった。
少なくとも、そのように見えた。
***
時間は否応なく、残酷なまでに正確に確実に進んでゆく。
ついに残り時間は一週間、百四十時間を切った。
俺はいつの間にかすっかりと暮れてしまった空をしょぼくれた目で見つつ、
ここ二日は泊まりこみの徹夜で作業をしている新之丞に向かって言った。
「俺、もう、やべぇ。少し……少しだけ横にならせてくれぇ……」
横になったら寝てしまうのはわかりきってはいたけれど、ここで少し体を休めないことにはラストスパートまで体が保たない。
この状態でシナリオはまだ完成していないので、腕を休める時間を使って
シナリオのプロットとスクリプトまで俺が組んでいる。
ほとんど全てが俺と新之丞の二人で作ったようなものに成り果てているが、これも締め切りに間に合わせるため。
あいつらの進捗を待っていると絶対に完成するわけがないということが、悲しいことにわかってしまった。
アマチュアと言えども、一度受けた依頼は何がなんでも完遂させなければならない。
なぜここまで完成にこだわるか。
俺はお袋と新之丞の親父さんの二人に、その恐ろしいまでのプロフェッショナル精神を骨の髄まで叩き込まれていたからだ。
曰く、
「締め切りは死んでも守れ。原稿を完成させずに死ぬな。死ぬならば、原稿をあげて渡してから死ね」
恐ろしい言葉だが、デビュー以来、どちらも一度も原稿を遅らせず、落としたことがない二人が言う言葉だから重みがある。
俺はチェアーから身を起こし、犬のように手と足を使ってフローリングの床をのそのそと歩き、
ベッドにうつ伏せになって体を横たえた。
「新之丞、三十分……三十分経ったら起こしてくれよ。もしそれで起きなかったら、一時間半後にお願い。
その時は何がなんでも起きるから……さ」
枕に顔を埋めながら言った。経験上、三十分も仮眠を取ればなんとかなるのはわかっている。
だけど、この女の体でどこまで体力が保つのかは未知数だった。だから余裕を見て一時間半と言っておいた。
本当は五時間くらい眠りたいけど、そこまでの余裕がないくらい、俺は追い詰められていた。
四日くらい前から風呂もシャワーも使っていない。食事もパンとカップ麺を不規則に摂るという状態だ。
だが、新之丞の返事が無い。
「おーい、新之丞。先に寝ちまったのかぁ?」
声がくぐもって聞こえなかったのかと思って、顔だけを起こして新之丞の方を見ようと努力するが、体を起こす力が出ない。
だめだ。なんか胸が押し潰されて苦しいけど、顔さえ持ち上げられない。
新之丞が立ち上がってこっちにやってくる気配がした。
ああ、ちゃんと起きていたのか。
俺が安心して、眠りの世界に沈みこもうとした、その時だった。
ベッドがきしんだ。
「ん……」
体を起こそうとしたけど、できなかった。もう体は睡眠状態に入っている。
意識だけが辛うじて起きていて、いわゆる金縛り状態になっているようだった。
「真琴……」
えっ……えっ?
俺の上に、新之丞が乗っかってきた。