黄昏の後には夜が来る。
それは変えられないこと。
言葉通りの自然現象ではなく、わたしは比喩として名付けられたのだから、
まったく同じではなかったが、同じことのように考えても良いようには思えた。
隙間には暗闇が入り込む。
無くなったことは仕方が無いのだから、僅かな支えが外れれば、わたしが自然にその中を満たす。
支えはわたしの意識が出来たときから存在しており、
いつまでも在り続けるものかと思ったが、数十日ほど前に支えと初めて接触したとき、
わたしは別の印象を持った。
精神はからだの中に押し込まれていて出られないように、
支えもわたしをわたしの中に押し込むためにその意味を守っていた。
────でも、もしかしたらこの支えをはずすことは容易なのではないか?
力任せに押し切り、腕を捩り切ればわたしはわたしの中にある狂気を開放することが出来るのではないか?
印象に任せて一度試したが、そのときは押し返された。
ただ、手応えは確かにあり、もう少し力を入れれば押し切ることは出来そうだった。
だが、暴力とはつまり甘えであり、甘えに対しては報復されるとするなら、無理やりに実行することは躊躇われる。
支えには意思があり、わたしは支えを数十日の間観察していたが、
ここ数日か、数十日に支えは慌しく動いているようだった。
闇の中で支えを見つける。
わたしはわたしを覆う結界のいくつかを折り取って──観察の結果、支えの注意は別のところを向いており、
気付かれない自信はあった──最小限の力を保持したまま意識を外界に透過させる。
これでも、上手く振舞えば支えを殺すには足るはずだ。自然と笑みが生まれる。
浮かぶ笑みに自分では気付かぬまま、夜と呼ばれる存在は蠢動した。
壊れた夜に会いましょう
狂った夜に会いましょう
月の中には赤い眼がひとつ
星は悲劇を覗くために輝いている
壊れた夜に会いましょう
もう来ぬ明日に会いましょう
「俺のリオーネクル─────────!!!!!!」
毎週のことだが。
午前10時30秒からの祭りはいつものように数時間前から始まり、数時間後に終わる。
「俺のリオーネキタ─────────!!!!!!」
それはまあ、いつもの行動だったが。
大騒ぎをして、エンディング前で仮死状態になり、いつものようにネットを徘徊してオナニーをする。
クローゼットを開けて、少女は次の日に着るべき服を探す。
大体いつもは部屋に居るのだから、肌寒さに合わせて全裸か、Tシャツだけでも問題は無かった。
近場の店に行くだけなら、腕まくりをしたり、Gパンを折り返せばそれほど困ることも無い。
だが、一日の半分も外出しようという気になるなら、 着心地やバランスを無視して外に出るわけにはいかなかった。
下半身の支えをベルト一本に頼るのも心許ない。
結局のところ、外に出ないで過ごすのなら男女の差など意味が無い。
20日あまりで数時間しか外に出ていなかったが、 その限りでは大した不便を感じなかった。
女性化して体格以外の違いといえば、いくらか感情が表に出やすくなったことと、
神経線維に違いがあるせいか、肌の感覚も敏感になったように思えること。
気付かない部分もあるのだろうが、基本的な部分は変わらない。
それ自体はそれほど不思議ではなかった。
遺伝子そのものが変わっていたとしても、
異性を獲得するには相手の気持ちを知らなければいけないのだから、
お互いの思考の違いが小さくなるにとっては都合が良いだろう。
高等生物では、ガッチホモや性同一障害者が人間に多いのは、
そうした人物が集団の中に居たほうが異性の思考を理解するために有利だったためかも知れない。
仮説が仮説足りうるのは将来的にその真偽を確かめようとする意欲があるときだけで、
その場限りでの仮定は単なる言葉遊びに過ぎない。
いちいち専門書を読んで調べる気もならない、ただの思考実験。
それでも考え始めれば途中で止めることも出来ず、心の中で無駄に流れる。
その人間にとっては災難でしかなくとも、全体にとっては有利だから遺伝子に残ることもある。
遺伝子を残さなくとも働き蟻は遺伝子に残されるように、
犠牲になるためだけの存在が人間にもあるのかも知れない。
欲望を発散させる術を持たず、周りへの見せしめになるためだけの。
多様性に耐えられるだけのメディアと手段を持った現代では、
何もかも悲劇とするのは遺物と言っても良い考えなのかもしれないが。
そもそも、自分の女性化に関してはニールの魔法によるものなのだから、 考えても仕方が無いものなのだろう。
もともと服に気を使ったことなど無い。
というか、気を使おうとしたことはあるが、そこそこ見えればそれで良い、
と言う基準で買った安物の服は 女性化してサイズが大幅に変わった今となっては致命的に役に立たない。
観賞用のレイヤ用の服がサイズとしては丁度良さそうだったが、
機能的でない服で行っても面白いところではない上、
無理に詰め込んで潰してしまうのも面白いことではなかった。
今回はかさ張るものを買いに行く予定ではなかったが、
それでも中古で良いものを見つけた場合、思わぬ荷物になる可能性はある。
エロゲのパッケージは大きすぎる、と思う。
小さくても購買意欲は削がれるのだが。
箱も綺麗だから無理に押し込もうと言う気になれないし。
綺麗でなければ買う気は起きないけれど。
乗せられていると言えなくもないが、それほど意味のあることでもなかった。
寝転がってインターネットをやりたいため、
ノートPCについてもチェックするつもりだったが、いつもの通り見るだけで終わるだろう。
133MHz、ウィンドウズ95搭載の4200円の中古ノートは挑戦してみたい気はしたが、
これも別の意味から、見るだけで終わりそうではある。
もともとの目的は、わざわざ遠出しなければ買えないようなものではなかったが、
それっぽいものはそれっぽい所で買うのが、割り切ることが出来て気楽だった。
楽しいと彼女が思うかどうかは別として、
どうせ行ったことも無さそうだったから、一緒にニールも秋葉原へ連れていこうと思っていたが。
その日、ニールは現れなかった。
ようやく、一通りの作業を終えて少女は息をつく。
苦労はしたが、ここ最近、3時間ずつ通っている建物を中心に10数キロに渡る結界を張り終えたところだった。
数日はこの作業のために留守にしなければならなかったが。
アィシルの魔法を凝縮した力の断片。
少女はアィシルに対して良い感情を持っていなかったが、その遺したものは役に立つと認めないわけには行かなかった。
現在の苦労もそこから発生していることを考えると、その実感は皮肉だったが。
薄い輝きを持つ五重の結界は不可視で、魔法を知るものでないと見ることが出来ない。
影響も出ないように設置したのだから、それは問題ではないが。
「ぇと…ひとまず安心かな」
独り言に自分で気付き、苦笑する。
誰にも気付かれないところで自分の役目を果たし、誰にも気付かれないところでその作業を終える。
伝えるべき相手は居ない、誰からも感謝されず、誰からも気付かれないこと。
それは寂しくもあったが、 達成したことに対しては満足感があった。
ありえないことをありえることに変える魔法。
この世界で口に出せば滑稽でしかないのだろうが、それで便利さが損なわれるというものではない。
夜が自分に対して、注意を行っている以上、自分もさやも安全ではない。
これでこの範囲内であれば安全は守られることになる。
少女──ニールという名前で呼ばれる──は、自分の成果を確認した後、頷く。
多くを望めないなら、満足できることだけで満足すればそれでいい。
達成出来たことを卑下することも無い。
ニールはそれで良いと思った。
…部屋に戻り、誰も居ないと気付くまでは。