学校は休日でも世間的には平日でしかも開園間もないということもあって、遊園地の中はガラガラだった。
ちらほらと同年代の人を見かけたので、もしかしたら同じ学校に通っている人もいるかもしれない。
それを差し引いても、人気、不人気にかかわらずアトラクションや乗り物の待ち時間に差はなさそうだった。
土日祝日の何分の一かの時間で乗れるかと思うと、ちょっと得した気分になる。
それに遊園地に来るのも久しぶりだ。せっかくフリーパスまで買ったし、楽しまないと損だ。
いや、明もいるし絶対楽しくなるに決まっている。
『デートね』──不意打ちのように母さんの言葉がよみがえる。
母さんはそう言うけど、ぼくはそんな風に捉えていない。では明はどう思っているのだろう。
「あのさ、あき──」
言いかけてやっぱりやめる。答えを聞く必要はないからだ。今日は明が楽しんでくれればそれでいい。
だから母さんの言い分からすれば断言できる──これはデートじゃない。
楽しまないと損だと言ったけど、前言撤回。ぼくは楽しまなくてもいいのだ。むしろ明を楽しませ、不快にならないように気を遣わなければならない。
明の嫌なことはぼくが引き受ける。今日はそんな関係だ。
パンフレットからいくつか面白そうなアトラクションをピックアップし、明の手を取ってまずは1回に数十トンの水を使うというウォーターアトラクションに向 かった。

絶叫系を除くアトラクションと乗り物を数箇所制覇して、はたと思い出した。
(そういえば今日は明を楽しませるんだった!)
今までの行動を振り返ってみると、率先して楽しんでいるのはぼくのほうだった。
しかもアトラクションの選択基準は完全にぼくの趣味で、明の意見は全然取り入れていない。これはまずい。
「ね、次はどこ行きたい?」
今日の主役は明なのだ。接待する側が楽しんでどうする。本来の目的を果たさなければ。
「陽の好きなところでいいよ」
「でも、ぼくばっかり選ぶのは悪いから……だから選んでよ」
「だからいいって。どうしてもって言うんなら、陽の行きたいところ、これでいいだろ?」
そんな回答じゃ困る。ぼくが聞いているのは明の行きたいところであって、ぼくの意見は必要ないのだ。
「どうして選んでくれないの!?」
「だから選んだだろ! なんでそれじゃいけないんだ!?」
言い過ぎたと思ったときにももう遅かった。明の声に含まる怒気。楽しかった雰囲気がガラスのようにヒビが入り、空気がぎすぎすしたものに感じられた。
失敗した。
つい感情的になって、作らなくてもいい軋轢を生み出してしまった。
見えない何かにがんじがらめにされているかのように気分は重く落ち込み、次に入った炎がウリのアトラクションは、
一番人気で面白いはずなのにちっともそうは思えなかった。

正午を知らせるファンファーレが時計から鳴り響き、特に何を言うでも示し合わすでもなく、二人してレストランとファストフードをあわせたような店に入っ た。
ぼくは明に先んじてカウンタに陣取り、頭上のメニューをざっと見渡す。
「高い……」
こういった遊園地やテーマパーク的なところは基本的には飲食物持ち込み禁止になっている。園内で買って食べてお金を落としてね、と言っているわけだ。
だから、食べようと思えばどこかの店に入らなければならない。
店側としては他店との競争はほとんどないから、どんな価格設定をしても、たとえば外の5割増しでも不都合はない。
……利用者には不都合だらけだけど。
ミネラルウォーターを除く一番安いドリンク(S)でも200円という遊園地特別価格。原価20円くらいの濃縮した原液を薄めて作るだけなのに、これは納得 いかない。
そして一番の不都合は──所持金だった。
実のところ、あまりお金がない。
こんなところにくるとは思わなかったので、最初からあまり持ってなかったのだ。
入園料と1日フリーパス券で大半が消えているいま、この価格設定では出せて一人分だった。しかも払ってしまうと帰りの電車賃も危うい。
これでは奢ることができない。
計算外で予定外で想定外で予想外だ。
(どうしよう……)
財布の中身と値段表を何度も見比べる。足りない。いまなら番町皿屋敷のお菊さんの気持ちがよくわかる。どうしても埋められない差というのは厳然と存在する のだ。
「別にいいって、無理しなくても」
ぼくの心の中を読んだように明がぼくの前に割って入って注文を始める。
「ほら、陽も頼めよ。ここは俺が立て替えとくからさ」
「……ごめん」
せっかく明が出してくれるというのに、さっきまでお腹がすいていたはずなのに、いまは全然食欲がなかった。
胃のなかに食べ物の代わりに鬱屈した気分が入り込んだかのように重い。
一番安い無印のバーガーとSサイズのオレンジジュースだけ注文する。
ケンカ一歩手前の雰囲気から復帰はしていたけど、明の好意にすがるのは心情的にためらわれた。これ以上はとてもたのめない。
トレイを持ってオープンテラスに出る。スピーカーから流れてくるアップテンポのメロディがどこかよそよそしく聞こえる。
メロディ音楽隊でもこの雰囲気を完全に直すのはできそうにない。

(結局奢れなかった……)
達成すべき目標のひとつが果たせなかった。そればかりか奢ってもらっている。
こんなつもりじゃなかった。
明の負担はぜんぶぼくが負うはずだったのに……。
「どうした、陽?」
なんでもないと言いながら、心の中では明に謝っていた。ごめん。そのことで頭が一杯になっていて、そんな状態でバーガーに手を伸ばして──

──カタン

手の甲になにかがが触れた。触れた衝撃でそれが倒れる。
触れたものは紙コップ。中にはなみなみとオレンジジュースが注がれている。紙コップが倒れた方向には明がいた。中身はそこに向かって──
明を汚した。
呆然と眺めているうち、泣きたくなってきた。空回りばかりだ。さっきもいまも。やりたいことができないばかりか、逆に迷惑をかけてしまっている。
「ほんと、ごめん……」
「別にいいって」
すぐさま濡れたおしぼりで汚れた部分を擦り取るように拭く。よりにもよって白いTシャツにオレンジジュースをこぼしてしまった。デニムにも飛び散ってい る。
「そこは自分でするからいいって」
Tシャツの部分を拭き終わってデニムの部分に取り掛かろうとすると、止められた。
「でも……」
それでも頑なに自分でやると言うので、仕方なく拭くのをあきらめる。それくらい任せてくれればいいのに。そんなに怒らせてしまったのだろうか。
だとすれば、ぼくは接待役失格だ。
「ごめん」
謝るしかなかった。
「なんで謝るんだ? 今のことだってさっき謝っただろ?」
「でも──今日は昨日の埋め合わせをしようと思ってたのに、全然できないどころか、逆に奢ってもらったり迷惑かけたり……」
申し訳ないと思うあまり胸が詰まった。下まぶたが涙を溜めきれなくなって、とうとう決壊した。
「おっ、おい! なんで泣くんだよ!」
いったん流れでた涙はもう止めようがなかった。人が見ていようといまいと、そんなことは泣き止む理由にならない。
自分の不甲斐なさ、情けなさが燃料になって涙が加速する。
「泣き止んでくれよ。な、頼むから」
なだめようとする明の声も、煽っているようにしか聞こえなかった。
……
……
「落ち着いたか?」
「……ごめん、また迷惑かけちゃって」
感情の整理がつくと同時に、またやってしまったとまた泣きそうになった。
おしぼりで顔を拭き、明が持ってきてくれた水を一気に飲み干す。それでどうにか第二波は押さえ込むことができた。
「いったいどうしたっていうんだよ。今日の陽はなんか変だぞ?」
本当は本人に隠し通して気取られないまま接待するのが一番いい。けど、ここまでやってしまったからにはもう喋らないわけにはいかない。
「そんなこと気にしてたのか。いいか? 遊びに行くってことは遊びに行ったヤツ全員が楽しめてやっと遊びに行ったってことになるんだぞ。わかるか?」
「……うん」
「だったら接待なんてやめて陽も楽しもう、な? そうじゃねえと、俺が楽しめねえからさ」
心がすーっと軽くなる。泣いて、すべてを吐き出して、明に受け止めてもらって。
明が親友で本当によかった。
「ありがと、明」
「よし! ──じゃ、食うか」
安心して気が緩んだのか、お腹が半径数メートルの範囲に空腹を訴えていた。
「わかりやすいな、陽は」
「笑わないでよ……」
そう言いながらも、ぼくの顔はほころんでいた。


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