こうして2人一緒に帰宅するのなんて随分久しぶり…つうか初めてだ。
一緒に登校することはあっても一緒に帰る機会なんて今までなかったからな。
と、翔の背中でしみじみ思う。つうかそれ以前の問題だ、この奇妙な光景は…
(外見的には)か弱い女の子が大の男、しかも自分の身長よりも10p以上は背が高い男をおんぶしている。
『やっぱり歩くよ。俺、重いだろ』
翔の背中に話しかける。細い背中だ。俺よりもずっと小さくて細い体だ。
こんな女の子が男を背負って息を切らしているなんて理不尽にも程がある。何やってんだ俺…
『へーきだっての! 馬鹿にすんな。お前は大人しくおんぶされてりゃいいんだよ』
そうは言っているものの翔の体は小刻みに震えている。声も少しつっかえ気味だ。
無理もない俺を背負って500メートル近くは歩いているからな。男でもこの距離はつらい。
しかもその間道行く人に好奇の目で見られていたんだから、本人は二つの意味で辛かっただろう。
それに俺も正直恥ずかしいし…
『もう充分だ。痛みもほとんど引いてきたし、なによりこれ以上お前に迷惑をかけたくない。お前が降ろすつもりがなくても俺は勝手に降りるぞ』
ユサユサと翔の背中を揺する。
まるでだだっ子の様だが俺の体は翔の腕でがっちりと固定されていて、力ずくで降りようとすれば翔がバランスを崩して倒れてしまう可能性がある。
格好悪いが、こうでもして翔にギブアップさせなくてはならない。
『ちょ、揺するなっつーの! 大人しくしてろ! あ、危ないって…わわっ!?』
翔はたまらなくなって俺を固定している腕を放す。よし、作戦通り。
『よいしょっと』
そのまま地面に着地する。約15分ぶりの地は懐かしいぜ。
『ほら、もう大丈夫だろ。折角人間には足があるんだから歩かないとな。あんま翔に無理させても悪いし…でもありがとうな。正直助かったよ』
『俺は大丈夫だっての! それにこれは俺が借り返してるだけなんだからよ、お前こそ変な気使うんじゃねーよ!』
荒い呼吸でそう言われてもまるで説得力がない。息が上がってるじゃないか…
やっぱり無理をさせすぎたな。もっと早く降りておくべきだった。反省。
『もう借りなら充分に返して貰ったよ。むしろ俺の方がまた借りを作っちまった…だから今度は俺に返させてくれ』
『え?』
“ガバッ”
『………!!』
翔を抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこってやつだな。しかし思った通りけっこう軽い。
本人は突然のことで声が出ないようだ。
『こ、こら! なにやってんだよ馬鹿! とっとと降ろせ、降ろせって!』
ジタバタと暴れる翔。う〜ん、俺が怪我人だってこと忘れてないか…まあ、本当にもうあまり痛くはないけど。
『だから今度は俺が翔をおぶって帰る。これで平等だろ』
『こりゃおんぶじゃなくて抱っこだ馬鹿! いいからとっとと降ろしやがれ! なんで俺が男に抱っこされなきゃなんねえんだよ、キモイっての!』
もっともらしい意見だが…キモイってのは少しショックだな。
『別にかまわないだろ。今の翔は女の子なんだし、普通は男の俺がこれぐらいするもんなんだよ』
翔には悪いが実を言うと俺もけっこう恥ずかしかったんだよ、おんぶされて。
大の男が女の子におんぶされてるなんて言葉にするだけでも恥ずかしいのに、実際にけっこうな人数に見られたからな。
ほんの少しだけ、ほんの少しだけだけどお返しの意味もあったり。
『女扱いすんじゃんねー。それにこんなとこ誰かに見られたら…』
『大丈夫だって。この辺り誰も人いないだろ』
もう町中ではないので幸い辺りには人影はない。
けっこう暗くなってるし遠くからじゃ何やってるかは分からないはずだし。
『そういうこっちゃねえ! ごちゃごちゃ言ってねえで降ろせ、頼むから!』
『じゃあ、大人しくおんぶされてくれるか?』
『う…だ、だからそれじゃあ俺のメンツってもんが』
今の翔にこれ以上俺を背負って歩くなんてことは体力的に無理があるだろ。
それに俺の方はもう大丈夫なんだからそんなことしてもらう意味もないしな。
『だったらこのまま抱っこして帰ってもいいんだけどな。翔は軽いから家までぐらいなら充分俺も大丈夫だし…』
『…ちっ、分かったよ。分かったから降ろしてくれ。マジで恥ずかしんだよ』
『はいはい、了解』
翔を地面に降ろす。なんかものすごく不満そうな顔してるな。
ちょっとやりすぎたか…でも鉄拳が飛んでこないだけそんなに嫌だったんじゃないのかもしれない。
ってそれはないか…俺も男にいきなり抱っこなんかされたらすごく嫌だからな、翔が嫌じゃないはずはない。
『ほら、どうぞ』
乗りやすいようにしゃがんで背中を差し出す。
『…お、おう』
翔もおずおずと乗る。よし、これは本来の正しい姿だ。やっぱり男が女の子をおんぶするもんだからな。
これは男女差別とかではなく一般論だと俺は信じている。
男が女の子におんぶされて大人しくしているなんてホント格好がつかない。
自分が格好いいとか思っているわけじゃなく、単純に人として格好がつかない。
『では参りますか』
我が家まで後約1qほど。暗くなってきたし早く帰ろう。お腹も空いたしな。くうくうお腹が鳴りました。
『…ったくよ。変なトコで意地っ張りだよなお前は…
俺が珍しく気を遣ってやってんだから、大人しく甘えてたらいいのによ』
背中で翔がグチを言うように呟く。珍しく、って自分でも自覚あったのか…
『まあ、翔の好意は素直に嬉しかったけど、やっぱり男が女の子に頼りっぱなしってわけにはいかないだろ』
『…っ、だから…女扱いすんなって! こう見えても俺は正真正銘男なんだからな。お前背負って帰るぐらいへっちゃだったっての』
『そのわりには膝が震えてたし、息もあがってたみたいだけど?』
“ゴン”
『つつ…こら、この体勢で殴るのはよしてくれ』
後ろから後頭部を殴られる。一応翔は軽く殴ったつもりだろうけど、ちょっとこの体勢ではきついものがある。
『う、うっせー。今日は調子が悪かったんだよ。いつもなら楽勝だ!』
翔が少し怒ったようにユサユサと俺の背中を揺らす。
『危ないっ、翔、大人しく…』
このままでは今度は俺が翔を降ろしてしまう。
『…あ、すまん』
翔は素直に大人しくなる。てっきり「やっぱり俺がおぶる」とか言うのかと思ったが杞憂だったみたいだ。
翔も本当は楽だから降りたくなかったりして。
『…………』
『…………』
これといって話す話題もなくなりお互い無口になる。
いや、話す話題なんていくらでもあるんだが、なんか翔の方が黙りこんでしまったので、
俺もなに話していいか分からなくなってしまったのだが。
う〜む、なに話したらいいのか…
さすがにこの翔が密着したこの体勢でずっと沈黙ってのはいささか居心地が悪い。
『今日は…ありがとな』
『え?』
先に口を開いたのは翔だった。しかも「ありがとう」って…そんなセリフ、翔の口から初めて聞いた。
『なんだかんだ言っても、お前が助けに来てくれなかったら俺はあいつらにヤられてた。俺がこうして無事なのもはっきり言ってお前のおかげだ』
『…俺は何もしてない。お前を助けたのは全部健さんだよ』
俺がしたのは誰にでも出来るただの時間稼ぎ。
健さんも俺のこと褒めてくれたが、俺自身そんなすごいことをしたなんて思えない。
『でも、あの人を呼んだのはお前だ。お前がいなきゃあの人は助けに来なかったし、もし来たとしても俺がヤられた後だったかもしれない。
やっぱり俺を助けてくれたのはお前だよ』
『そんなことないって! 俺、何もしてねえもん』
翔がそう言ってくれるのは嬉しいが、結局のところ俺がしたのは連中にボコられたことだけだ。
『いや、した!』
『してない!』
『したっていってんだろボケ!』
“ガン”
いてっ!また後頭部を殴られた…
『人が素直に褒めてやってんだから、もっと喜べってんだ。まったく分かんねえ奴だよな…』
『そりゃ悪かった…』
褒められるのは嬉しい。でも自分で実感が持てないのはしかたないと思う。
俺ってけっこう捻くれた人間なのかな…
『だから俺がその礼をしてやろうって思ったのによ…
お前がああだこうだ言うせいで、結局また俺が面倒かける状態になってるしよ…』
『お礼なんて別にいいって。何度も言うけどそんな大したことしたわけじゃないし…』
正直なところもうおんぶとかされるのは嫌だからな。
あれはあまりお礼になっていないし、見方を変えるとイジメと言えないこともないかもしれない。
『それじゃあ、俺の気が収まらないんだよ! なんか礼させろ! なんでもいいからよ、なんかあんだろ?』
そんな命令形で言われましても…
「是非、お礼させてください」とかはあるが「なんか礼させろ」とは…言葉と態度が矛盾してるというかなんというか…
これといって翔にして貰いたいこととかないし…
いや、まてよ…
『これなら…』
ふと、意地悪な考えが浮かぶ。
『本当になんでもいいのか?』
『おう、ドンとこい!』
お言葉通り、ドンと行かせてもらおうか。
『じゃあ、キスしてくれ。ほっぺでいいから』
少し翔をからかってみた。
翔の表情が一瞬にして凍結する。いや、ここからは見えないのだがなんとなく雰囲気として伝わってくる。
『お、おお、お前…っ!?』
停止してから約5秒後、後ろから切羽詰まった声が聞こえてくる。
そうとう混乱しているみたいだな。
『健さんもお前がしてくれた方が俺が嬉しがるとか言っていたしな。だからほら。…なんでもいいんだろ』
『い、いや…それは』
困ってる、困ってる。
ちょっと意地悪しすぎたか…いくらなんでも男に、しかも俺なんかにキス出来るはずなんてないからな。
無理がある、無理が。
それを分かって言ってる俺もそうとう性格が歪んでいると思うが。
『つ、つうかなんでキスなんかしなきゃなんねーんだよ、この俺が! 変態かお前は!』
まあ、そりゃ変態だと思うわな。マジで言っているのなら。
『冗談だって、冗談。翔がそんなこと出来るハズないと思って、ちょっとからかってみたんだ。ごめんな』
実はちょっとしてもらいたかったり…
…っとっと、やばいやばい本当に変態か俺は。
翔は男だ、男。外見は可愛い女の子でも中身は男なの。
『…このクズ野郎! 人が真剣に言ってやってるのに』
“ゴス”
3発目。相変わらず痛い。
『ごめん、って言ってるのに』
『うっせ馬鹿!』
そんなにポカポカ殴ることないと思うのだが…
『お、いつの間にか…』
気がつくとすでに自宅の前まで帰ってきていた。いろいろやってたから気がつかなかったが…
自分で歩いといてなんだが、案外早く着くものだな。
『もう家の前かよ…早えもんだな』
翔も同じ感想みたいだな。時間が経つのは早い。
『んじゃ降ろせ。まさか家の中までこのままで行くつもりじゃねえだろ』
『ああ、よいっしょと』
しゃがんで翔を背中から降ろす。お、体が少し軽くなった。
『お疲れさん』
『それはこっちのセリフだっての! …そういや、俺、結局お前になんもしてねーじゃん』
『最初、背負ってくれたじゃないか。あれでいいよ』
そういうのは気持ちだけで充分だ。何事もまず大事なのは気持ち。
どうやら翔は本気で俺に何かしてくれようと思ってくれてるみたいだから、本当にそれで充分、お腹一杯。
『…あんなもんじゃ何も返せてねーよ』
俺に意地っ張りとか言っていたわりには、翔もけっこう強情だな。
『だから別にいいって。何も返さなくても』
俺は植木鉢の下に隠してある家の鍵を取り出し、がちゃがちゃと鍵穴を回しながら答える。
『俺はよくねーんだよ』
『じゃあキスで』
『……う』
翔があんまりしつこいから冗談を言ってはぐらかす。本当に何も返してもらわなくてもかまわないのに。
『開いたな』
ガチャ、という音がして鍵が開く。
俺は翔の方を振り向いて、
『まあ、その話はまた今度ってことd…』
『…ちゅ』
qあwせdrftgyふじこlp!!!!???
『こ、これで…いいのかよ…』

「世界(ザ・ワールド)!!」時は止まった。
これが…「世界(ザ・ワールド)」だ。
もっとも「時間の止まっている」おまえには見えもせず感じもしないだろうがな…

『おい、貴志…?』

い…いったい…何が起こったのだ…やられてしまったのか…? う…動けない…
だめだ…致命傷のようだ。声も出ない。指一本さえ動かせない…

『貴志…? どうしたんだよ、おい?』

今、カイロは…何時か分かんねーや。
母さんと良夫さんは今なにをしているのだろう…もう眠っているのだろうか?
ヨーロッパの方と日本って何時間ぐらい違うんだ?

『おい! 貴志ってば!』

小山貴志が最後に思うこと…それはヨーロッパのどこかにいるであろう母親と義理の父親のことではなかった。
両親のことはそれなりに深く思っていたが、最後に浮かんだ「疑問」の前に、両親たちへの思いは頭から吹っ飛んだ。

『貴志ー!』

俺の体は多少傷ついているにしろ、誰かに触れられれば感覚で分かる。そもそも傷の痛みはもうほとんどない。
だが、今、翔が俺に何をしたのか、俺の体に触れたのかどうかさえ分からなかった。
いや、確かに触れたのだ。だが何故俺には…
触れた…誰が…翔が…誰に…俺に……?どこが…唇が……どこに唇に…「唇」

“ドドドドドドドドド”

わ…わかった……ぞ。な、なんて…ことだ…
それしか考えられない……
「キス」だ…翔に…「キスされたのだ」…しかも「唇」に…

『貴志! しっかりしろ、貴志!』

俺は呆然としてしばらく玄関のドアの前に立ち竦んでいた。


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